三国競艇場(旧)

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YOSAPARK三国店

〒913-0026

福井県坂井市三国町

殿島4-16





二つの川が交わる

汐見公園この西側に

競艇場があったと

思われます

最初古い航空写真を

見た時にエンジン格納庫

だと思っていた小屋

実は民家でした

んでもって競艇が行われた

のは行く前は

東側だと

思っていたのですが

ターン無理じゃね?

って結論づけました





こんな感じの公園に





こんな小屋があり

そのそばに石碑があります





上段に建物写真ありました





これが競艇場の

艇庫の写真です





見える舟は漁船だと

思われます

なぜこの石が刻まれたか

そしてなぜ西側が

競艇場と判断したか

ここにはかつて汐見という

集落が存在しました

東側の川の拡張工事に

伴い移動をよぎなくされ

この石にだれの家が

どこにあったかを

きざんであります

つまり今でも狭いのに

かつてはもっと

川幅が狭かったという

理由で西側だとわかりました





こちらの赤ラインが

拡張前の航空写真





こちら西側





西側河口寄り
そして狭い東側



ここに遊覧船が

係留してあったのですが

後でわかったのが

東尋坊に向う遊覧船が

こちらにつないであります


しかしなんですね

こちらトークンさんが

鉄橋から写真撮ってましたが

うそか偶然か

ちょうどその下で

競艇がおこなわれていた

事になります

きっとおじいさんが

ここで撮れと言ったに

ちがいない (;一_一)



日本の何処かで


港町みくには、福井県の東北端に位置し南より北に九頭竜

川が流れ河口付近で竹田川と合流して日本海に注いでいる

。当時の三国は、年々上流より流れ来る土砂のため間断な

く河口の浚渫を要したためその莫大なる経費の支出を余儀

なくされ、町財政は窮乏の極にあえいでいた。

1951(昭26)年6月。町財政を建直すために港を利用して

モーターボート競走を実施しようという案に全員一致を見た

。1951(昭26)年10月19日:社団法人福井県モーターボ

ート競走会設立の認可がおりる。

自治庁の通達による競走施行者要件として「人工三万人以

上を要する」とあるので近隣各町村へ加入を働きかけ武生

市に共催の名だけとりあえず協力してもらうことに承認を得

る。

1952(昭27)年7月:競走場の予定地である九頭竜川河

川敷堤外地の使用許可がおりる。当時の三国町の財政事

情は、モーターボート競走場を建設するための莫大な経費

を調達することは困難。全町民に出資を呼びかけたが思う

にまかせずやむなく京福電鉄株式会社に任せることとし施

設会社:三国競艇施設株式会社の誕生をみるに至る。同

年11月:自治庁告示により、武生市・三国町ともにモーター

ボート競走を行うことのできる施行者として指定をうける。1

953(昭28)年2月:九頭竜川畔の競走場建設予定地の

整地作業を開始する。「九頭竜の三角波」といわれる選手

も恐れる全国屈指の難水面の競走場が仕上がった。195

3(昭28)年4月14日:武生三国モーターボート競走施行

組合にて旧・三国競走場初開催(所在地:三国町汐見)。

折から快晴ファンも初めてとあってか華やかな開会式とう

らはら、あまり成績はよくなかった。

第一レース売上げ 398枚

当日総売上げ 10,853枚

六日間累計 86,880枚

日本海側唯一のモーターボート競走場であり宣伝不足や

ファンの不馴れ地理的悪条件も加わって、施行組合、施

設会社、競走会の三者一体となっての努力にもかかわら

ず予定したほど売上げは伸びず、関係者ともども正に開

拓者としての苦難の途を歩んだ。

1954(昭29)年9月:日本を縦断襲撃した洞爺丸台風の

ため、三国競艇場は全施設が水没し壊滅的打撃をうける。

以後河川敷の宿品とはいえ、伊勢湾台風、第二室戸台風

が襲来するたびに、甚大な被害を受けた。

1960(昭35)年頃になり一日平均売上げ四百五十万円

余と伸び開催時主催者の予定していた額に到達、ようやく

好転のきざしを見せてきた。その後、ゆるやかではあるが

売上げは順調に伸びはじめる。

1963(昭38)年5月:三国競艇施設株式会社と協議の

結果、委託を解除することとなり施行組合の実質施行に

切り替えると共にオーナー権の譲渡を受ける。1965(昭

40)年度重なる災害と河川利用のためには避けられぬ塵

芥の漂流、冬季の荒天によるレース中止等、従来より種

々困難はあった。たまたま近く九頭竜川が一級河川に昇

格し、建設省の管理になるとの風評もありこの競走場を

移転してはとの案が出された。1966(昭41)年:九頭竜

川が一級河川に昇格する。その管理が福井県より建設

省に移管されたので、堤外地にある施設一切を早急撤

するようにとの通達があり移転地の候補地選定に着手。

1 鯖江市郊外の染色団地不用地

2 三里浜砂丘地帯

3 池上地籍俗称「フケ」付近

4 滝谷台地後方付近

レースは現在地にて、そのまま続行しながらも慎重に移

転地の検討が行われ新競艇場の移転先を、池上地籍「

フケ」付近にしぼり交渉することとなる。1967(昭42)

年10月:競艇場移転許可と同時に移転地の工事に着工

。現在の主催者は武生三国モーターボート競走施行組

合(越前市・坂井市)あわら市で主催している。





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参考ブログ


日本の何処かで



でわでわ