☆臍帯血での脳性まひ治療研究へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1829595&media_id=2
幼なじみが、脳性まひでした。
正確に言うと、私の世代にはまだポリオの後遺症で肢体不自由であったり、生まれたときの障害で、体が不自由だったり、重度の知的障害を伴っていたり、という子供が周りに何人もいたように思います。
そのNちゃんは、父の親友の娘さんで、そのおうちでは末っ子ちゃん、大事に育てられるはずでした。
ところが生まれてから泣くこともなく・・・、このまま天国に帰してやりたい、と親族が言いだして、
ミルクを飲まさなかったのだと言います。
でも、彼女には泣く力があって・・・若い看護師がミルクを飲ませたのだそうです。
今思うと、とても残酷な話なのですが、50年近い過去にはこんなことがあったのですね。
で、その彼女は、養護学校(今の特別支援学校ですね)に入学し、高等部を卒業後、成績優秀な彼女は公務員になりました。
車いすと杖を上手に使い、神戸市内の東部から真ん中あたりまで通勤し、音楽やスポーツも楽しんでいたんですが、
ある日。
歩道の舗装工事があり、健常者、特に工事をする側にすればちょっとした陥没の場所に、車いすの車輪がはまりこみ、転倒。
これも、ちょっとした怪我、と思われていたのですが、頸椎を傷め、休職をすることに。
気にはなっていたんです、でも、幼なじみとはいえ、家族ぐるみで何度か会った程度。
こちらから連絡をする術もないんですよね(今みたいに携帯やメールもないしね)。
次に聞いた彼女の消息は、訃報でした。
動きにくくなってしまった足を引きずって上ったであろうビルの上からの転落でした。
ずっとずっと、訓練を重ねて、やっと手に入れた『自由』。
ほんの一瞬で、滑り落ちるように消えていったように感じたんでしょう。
私が、YMCAでボランティアを始めたのは、自分自身の体験もあるんだけど、彼女のことも少なからずあったんです。
ほかのボランティアリーダーとは違って、学生ではなく、バイトしながら色々と学ぼうとしていた年代を経て、学校の事務職になって、3年目くらいのこと。
ショックでした。
私の身の周りには、「長生きはしない運命だった」と彼女の人生を話す人もいて、
でも、私にはやっぱりそう思えなくて、
こういうニュースを聞くと、いつも考えてしまいます。
私が「死生観」にこだわるのには、こういうこともあるんですよね。
http://www.youtube.com/watch?v=HEctbsIDR-0
今日のニュース、これもちょっと驚いてショックだったんですが、
うちの息子と同じくらいの男性が、おそらくいきなり背中を刺されたらしくって、亡くなっている。
何があったんだろう・・・何があったにしても、
こんな最期は考えなかっただろうに。
このところ、自分が本当にやりたいことが見えていないようで、
やりたいのが麻痺しているのか、
うっすらと希死念慮みたいなものが出てきたり。
いや、死にたいわけでは全くないんだけど。
そんなことを思っている昨今ですが、
ふぅっ。
さてミナサマ。
仕事 (SOFTLY ) の方はそんなことも言うてはおれず、12月も1月も2月も、
伏見稲荷の近所で(コロコロこころと言う、ヒーリングスペースですの♪)ゆるゆるとセミナーを開いたり、
カウンセリングをやっております。
それ以外にも病院では、日々是好日、とはいかなくても、
一期一会になることもありながら、
出逢いを楽しんでおります。
なんか、近況報告みたいになりましたが・・・。