長浜市の魅力を広く発信し、イメージアップとともに広い知識で情報交換できるPR大使制度
<長浜ブランドアンバサダー>。
昨年6月に制定されたこの制度に、このたび「観音の里 長浜PR大使」として滝田栄さんが就任されました。
著名な俳優で文化や芸術への造詣も深く、仏教の研究やなんと仏像の彫り師でもいらっしゃる滝田さん。
藤井長浜市長より委嘱状を授与される式と、東京で開催される大型仏像展の概要記者会見にお声掛けいただき参加しました。
滝田さんとは私も対面で名刺交換をさせていただき感激・・・♪
滋賀県長浜市。
「奧琵琶湖」と呼ばれる琵琶湖の北岸地域は、集落の数ほど観音様がおわし、「観音の里」と呼ばれるさと。
古くは奈良・平安時代の観音像がお寺やお堂に祀られたものの、古代寺院はすでに廃絶したものが多く、その後は地域の人々によって、大切に、ひそやかに現代まで守り継がれてきたといいます。
ご存知、長浜は戦国時代、合戦場として信長、秀吉、家康など有数の武将が集った、ドラマチックな土地。
それだけに信仰を邪魔されたり、戦火をまぬがれるために土の中に埋めたもの、川に沈めたもの、戦火から火だるまになりそれでも村民がまもりつづけてきた観音さまがつつましく現存しています。
地域の風土になじみ、生活によりそってきた観音さまとともに生きるくらしは、特別な存在として接するものではなく、そこにいらっしゃることが当たり前で家族のような存在だったそうです。
そしてその長浜から、東京へ。
重要文化財も含む約20躯の観音さまが、初出展という形で一堂に介します。
観音の里の祈りとくらし展 ―びわ湖・長浜のホトケたち―
主催:東京藝術大学・滋賀県長浜市
後援:総務省・滋賀県
2014年3月21(金・祝)~4月13日(日)
東京藝術大学大学美術館 展示室2にて。
記者会見場には、主催者ご挨拶で藤井長浜市長、公開と保存に協力し会場となる東京藝術大学大学美術館・関館長、概要ご説明に長浜城歴史博物館・太田副館長、東京藝術大学・薩摩教授がいらっしゃいました。
そして、代々仏像をまもっていらっしゃった赤後寺・世話役の植松さん、会場で上映された展覧会のテレビCMでも祈りを捧げる姿が印象的だったお母さん・津田さんも直に観音さまに触れる人の声ということでマイクを持たれました。
長浜にあるお寺の多くは人が住んでいない小さな寺院です。
そのため、近くに住む住民の方が足繁く通い、お世話を続けてきたのだそうです。
無人のお堂の前にポツーンと携帯が置いてあり、拝観客がプルプル鳴らしたらいつでも世話役さんが現れてくれるんだとか(笑)。
氏子総代の上松さんのお世話する赤後寺(しゃくごじ)の腕のない千手観音立像も、賤ケ岳の合戦で手首から先を失ってしまいながらも住民にまもられ現代に受け継がれてきました。
お話を聞いていて、私からすると重要文化財が無人のお堂に祀られているのもびっくりではありましたが、それよりも大切にまもられてきた気持ちごと、観音さまが現代に語りかける多くのもの――。
重要文化財<<千手観音立像>>平安時代・8世紀~9世紀 日吉神社(赤後寺)蔵(長浜市高月町唐川)
果たしてこの千手観音さまが見てきた景色はどんな背景だったのだろうと、そのお姿から受ける衝撃はかなりのものでした。
戦国の乱世に生き、迷い、すがる村民の手で愛おしくまもられつづけてきた観音さまたち。
長浜に嫁いで50年、CMにも登場され祈る姿が印象的な津田さんは、朝は5時から観音さまに会いに行かれます。
「わたしがお詣りするのは、そこに観音さんがいらっしゃるから。」
笑顔で"観音さん"と親しみをこめて呼ぶ地元のお母さんがとっても可愛い。
その言葉にすべてがこめられている気さえします。
確かに京都や奈良のような大きな寺院仏に観光客が集まるというより、地域の人がお参りに来る、そんな日常風景がよく似合う長浜の観音さまたち。
長浜市指定文化財《十一面観音坐像》 平安時代・12世紀 岡本神社蔵(長浜市小谷丁野町)
"観音さまがそこにいらっしゃるから。"
そこでくらし、家族のような存在であり、いろんな願いをおしゃべりするかのように語りかけたくなる存在なのかもしれません。
こわごわ離れてではなく、間近で拝見したくなりました。
まぶたは閉じられてるのでしょうか。薄く開いてるのでしょうか。
ふとそのお顔を下から覗きこんでしまったら、もしかして何か言葉を返してくださるのでしょうか。
そんなことを考えてしまいそうになる、まろやかな表情です。
「観音の里の祈りとくらし展 ―びわ湖・長浜のホトケたち」

