東京ドームで盛況の中、目に止まり入っていったブース、「神々の国・しまね」。
最近、旅をしながら神話や伝記に興味を持つ中で、忘れてはならないのが「島根」です。
なので島根に旅した~い!なんて考えていましたのでブースがあって嬉しいな♪
壁には古事記を模した人形などがあり、一種独特の空気がここだけに流れているよう。
ん~・・・この人形のタッチ、以前横浜で展示会 を観た、和紙造形作家の内海清美さんのもの・・・ではないかと思いつつ歩いていたら、
あ、やっぱりそう!!
あの魅惑の源氏物語の姫たち同様(過去記事 )、白が基調なんだけどね、やっぱり色づいて見えるところが先生の凄さ。
生きているかのような躍動感も。
未発表かつ国内初公開という素晴らしいチャンスに偶然って凄い!と嬉しくなりました。
っていうかもっとPRして欲しかった・・・。知らずに通り過ぎてしまってたところでしたよ
島根ブースのど真ん中に大きく飾られていたのが、昔の出雲大社を想定して復元された1/10モデルの「古代出雲大社高層神殿・雲太」。
松枝工業高校の建築家の生徒さんが製作されたそうです。
長い! あまり~にも長い!!
私がじーっとくまなく模型の階段を見ていたら、その様子がよほどおかしかったのか(爆)、微笑みながらブースの担当の方がいろいろお話してくださいました。
現在も立派な出雲大社ですが、御祭神の大國主大神様のお住まいといわれる本殿は古くから“天下無双の大廈(たいか)”とたとえられていました。
平安時代に記されたという文献「口遊(くちずさみ)」には、当時の大建造物のおぼえ歌として大屋について「雲太、和二、京三」と謳われています。
「雲太」とは「出雲太郎」の略で出雲の出雲大社本殿。これが一番大きく、次いで「和二」こと「大和二郎」が大和国・奈良東大寺の大仏殿、「京三」とは「京都三郎」で、京都・平安京の大極殿八省のこと。
平安末期の源平騒乱で東大寺大仏殿が消失する前の高さが15丈(約45メートル)と伝えられていることからも、出雲大社本殿はそれ以上の高さだったと謳われているのですね。
(↑上の図の濃い茶色が京三、黄土色が和二。雲太は高い位置の本殿まで長~い階段を渡って昇ったということですね。ほんとに雲の上の神話の世界みたい!)
ただ、近年まで木造建築でそれほど高さがあるものは難しい、これは単なる言い伝えでは・・・と考えられていたところ、平成12年、地下室の工事のために掘り返した境内の八足門(やつあしもん)前で、巨大な三本組みの「宇豆柱(うずばしら)」が、続いて本殿中央に位置する「心の御柱(しんのみばしら)」「側柱(かわばしら)」が相次いで発見されたのです。
柱口1丈。なんと直径3メートル(1丈)の大柱!!
出雲大社宮司家に伝わる「金輪御造営左図」にあった“巨木を3本重ね一本の柱にした”と言う内容の記載とも合致し、出雲大社の高層神殿の存在は一気に現実味を帯びてきたのです!
それにより古くからまことしやかに語り継がれていたように、他では類を見ない高さ16丈、まさに天下無双の高さのご本殿の存在が現実味を帯びてきました。
ちなみにこの「宇豆柱」と「心の御柱」は国の重要文化財に指定されています。
あまりの神秘的な縮小モデルに感動してしまいました!
これは・・・実物大を肉眼でも見てみたい!
現在の国宝の御本殿は、延享元年(1744年)遷宮し造営され、以来、文化6年(1809年)、明治14年(1881年)、昭和28年(1953年)と度にわたり社殿をすべて建替え。
伊勢神宮は20年に一度、出雲大社は60年に一度なんですね。そして、「平成の大遷宮(だいせんぐう)」 がこのたび行われています。本殿の大屋根の檜皮(ひわだ)のふき替え工事など、全面的な補修が行われるそうです。
その貴重な一部分が、この会場にありました!
なっなんてレアなのふるさと祭り!!
触れはしませんが、超~接近して接写!! 檜の重ねかた、木製の釘・・・貴重です。
そして出口付近で「御本殿大屋根檜皮古材」の一部を配ってらしたので、ゆるキャラシールと一緒にもらいました♪
長く神様のおうちを守った檜。
「和楽豊栄、ご縁に結ばれますように」と・・・。
遠い遠いむかし。長い階段を歩く女官たち。
目を閉じると見えるよう・・・?
出雲の神秘を切り取った、並河萬里さんの素敵な写真展も併設されていました。
祭りの情景や漁の船・・・
ああ、行ってみたい。
縁結びと神話のくにへ・・・♪
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