死という物について、どれだけの人が真剣に向き合った事があるだろうか?
病気になり、自分の死がものすごくリアルになった。
ある緩和ケア医が言うには、「人間は致死率100%」。
本当にそうだなぁとしみじみ思う。
遅かれ早かれ、どんな死に方であれ、命がある者は全て死ぬ。
絶対にいつか死が訪れる。
絶対にだ。
でも、世の中的に「死」は、見て見ぬふりをするような、ある種タブーのような存在。
手術を前に何人かの友人に、「もし私が死んだら〜」という話をした。
皆、冗談を言ったり、笑ったり、大丈夫でしょ、なんとかなるでしょと言う。
真剣に向き合って話してくれたのは、死を真剣に考えた事のある家族だけだった。
何が「大丈夫」なんだろう?と思う。
何が「何とかなる」んだろう?
結局他人事である。
そして、皆、怖いのだ。
「死」が。「死」を考える事が。
幡野広志さんのブログや色々な記事をよく読む。
彼はものすごく真剣に、病気と死について向き合って日々「生きて」おられる。
頭が下がる思いである。
私だって、全く怖くないなんて嘘で、やはり怖い。
そして、ついついこのまま元気な日々が続くと思ってしまう事がある。
でも、本当はそうではない。
生と死は、いつも隣合わせであり、紙一重なのである。
「死」と向き合うことは、「生」と向き合う事。
生きるという事は、死ぬという事。
どんな「死」を迎えたいか考える事は、どんな風に「生きたいか」考える事。
大切な人とは、真剣に生と死について、お互いの意見を話し合いたい。
それは、逃げではなく、むしろ立ち向かって、しっかりと「生きている」と思うから。