闘病記 2日目

CT撮影。

出血が少ない為、脊椎ドレナージ術は1日延期となる。

頭痛が酷くて辛くて、1日中唸ってた。

寝返りをうちながら、痛みで「ゔゔゔ…」と唸る。

吐き気も酷く、吐き気止めの点滴も打ってもらう。

痛み止め(ロキソニン)は4時間間隔をあけないと使えず、4時間がとても長く感じた。

「あと2時間で痛み止め使える…あと2時間の我慢…」と何度も時計を見ながら、耐えていた。

しかし、ロキソニンは1日3回までの使用が最大と言われ、痛くても我慢して唸って…

寝る前に飲みたいなど、可能な限り時間の計算をして使った。

この時点で使用出来た痛み止めは、ロキソニン(飲み薬)とアセリオ(点滴)。

アセリオ(点滴)は、私は効果を感じられなかったが、ロキソニン節約の為に気休めながらアセリオを点滴してもらっていた。

本当に頭痛が酷く、吐き気も酷く、ものすごく辛かった。

起き上がる事など、一切考えられなかった。

痛み止めは、頓服的に痛い時に使用する為、飲みたい時、点滴したい時は毎回、看護師にお願いしていた。


入院後、初めての食事が夕食に出されたが(全粥・柔菜)、臭いを嗅いだだけで、吐き気がし、何も食べられずすぐに下げてもらった。

主治医や看護師から、何でも良いので食べられそうな物を家族に買ってきて貰ったり、持ってきてもらって、出来るだけ食べるようにと言われる。


全く食欲がなく、吐き気も酷かったが、フルーツとゼリーなら食べられるかもしれないと家族へ話し、持ってきて貰うことにした。


この日はまだ両手から点滴が繋がっていたような気がする。


頭痛や吐き気は酷いが、普通に会話は可能。

手足の動きも問題なしであった。

その為、私は入院期間は短くあと数日で退院出来るのではと楽観的に思っていた。


闘病記3日目

脊椎ドレナージ術施行となる。

主治医(一見怖そうだが、とても優しい)より、脳を豆腐に例えながら、説明があった。

「お豆腐のように、脳は水に浮いています。

今回の出血で、その水に血が混ざっているので、水を抜く為に、細い管を腰から入れます。」

施行者は担当医(頼りなさそうな、フワフワしたお坊ちゃん風)。

SCUのベッドに横向きに寝、背中を担当医に向ける。

見えない箇所で、何をやるのか見えない為、不安のまま行われる。

主治医が再度顔を出し、「麻酔多目にしてね!」と担当医に指示していた。

予備知識として、マルク(骨髄穿刺)はめちゃ痛いと知っていたので、同じような事される⁉︎という事は、めちゃ痛い⁉︎と不安が大きかった。


担当医に、「めちゃ痛いのですか?不安です…」と聞いたら、「痛いですが、麻酔多目にしますからね。麻酔の注射が痛いかも。

あ、この間、頭痛はマシになるかも!こっちの方が痛み強いから。」との返答であった。

そして、本当に麻酔の注射がかなり痛くて辛かった。

「痛い!」と叫んだ。


この時も、「神様、仏様、ご先祖様どうか助けて下さい。」と心の中で祈っていた。

(無宗教ですが…こんな時だけで都合良いかもしれないけれど、祈っていました。)


担当医は、(何年目の医師⁉︎大丈夫⁉︎不安!)と感じさせられる人で、発言も「あれ?」とか、「うーん」とか言っていて、不安は増すばかり。

看護師さん達に色々聞いたりアドバイスされながら行われた。


この、ドレーンは、寝ているベッドの高さと排液の量が重要なようであり、食事の時間以外は、常にベッドのギャッジアップは約10度であった。

又、食事の時間のみ、ドレーンをクランプし、ベッド上で座位を取れた(実際には、頭痛が酷く、座位は10分も取れない日もあった。日によって、頭痛の程度も変化があった。)


ドレーンを入れ、排液が出るとすぐに真っ赤な血の混じった液がドレーンを通して出てきていた。


4時間毎のチェックに、このドレーンを刺している腰の、液漏れしていないかのチェックや、排液の量・ベッドの高さのチェックが追加となる。


ドレーンがしっかりと挿入されたか確認するために、レントゲン撮影。

ベッドのまま、レントゲン室へ。


病院のソーシャルワーカーさんが病室へ来室。

家族に、限度額認定証の説明を聞くよう依頼。

→早めに行った方が良いとソーシャルワーカーよりアドバイスがあり、家族がすぐに申請しに行ってくれた。

退院後、請求金額が莫大な金額で、負担限度額認定証に、とても助けられました。



闘病記4日目

頭痛や吐き気は変わらず。

頭痛がとにかく辛く、相変わらず唸る日々。

また、カーテンの仕切りのすぐ先はナースステーションのようであり、常に(夜中も)話し声や人の気配、足音が聞こえてきており、又夜中のバイタルチェックの影響もあり、そして頭痛の影響もあり寝不足。


昨日のドレーンを刺した箇所から、液漏れが見付かる。

液漏れすると、患部が湿り、感染症を引き起こす可能性が出る為、よくないとのこと。

その為、ドレーンを刺した箇所を追加で縫い直しとなる。

あの痛みをもう一度⁉︎と、かなりショックを受ける。

また麻酔の注射が、激痛。

痛みを我慢するのは、かなりエネルギーを使う。

終わるとぐったり。


ご飯は相変わらず全然食べられず、初めは全く食べない→全粥3口→全粥5口→おかず3口+全粥5口と、少しづつ食べる量を増やしていけた。

食欲は全くなかった。

食べられそうな物は、ゼリーとフルーツくらいで、ゼリーを買ってきてもらったり、フルーツ切って持ってきてもらったりしていた。


座位に関しては、ベッドの背もたれを上げて、背もたれにもたれながらであれば可能であった。

(ドレーンクランプしながら)


日によっては、1時間座位を取れる日もあったが、10分で頭痛が酷くなり、ベッドの背もたれを下げてもらう事もあった。


入院後、短時間だが、やっと携帯電話を触れるパワーが出てきた。


そして、携帯電話を触れるようになったタイミングで、友人Yより遊びに来ると連絡が入った。

普段、たまの飲み会くらいでしか連絡取り合ってなかったのに…すごいタイミング。

入院中と報告すると、お見舞いにきてくれることに。

お見舞いに来てくれる頃には、元気になっているといいなと思った。


闘病記5日目

また腰のドレーンから液漏れが見付かる。

再度、追加で縫い直し。

精神的にも身体的にもかなり消耗。


頭痛が辛すぎるのと、痛みのコントロールを病院側で計画して行なってくれない感じがして(「痛いので痛み止めお願いします。」と私が伝えて、痛み止め使ってもらう流れだった)、遠慮せずに、自分で時間も考えて、自分で痛みのコントロールを図ろうと決意。


この頃、ロピオン(点滴)が追加で使用可能となる。

私がとにかく頭痛で辛く、食事も取れない事から、とある看護師さんが主治医に提案してくれ、追加となった。

この日は、昼食前にロピオンを落としてもらい、すぐに元気になり「ご飯食べるー!」とパワーが出る(実際には量はほぼ食べられず)。

体感として、ロピオンは身体のだるさもなくなり、全身が元気になる気がした。

点滴の液の色が白い為、私は「白い点滴」と呼んでいた。

(「頭が痛いので、白い点滴、お願いします!」)


ロキソニン(飲み薬)とロピオン(点滴)も4時間開ける必要がある。

ロピオンは1日に4回使用可能。

そして点滴なので、効き目が早い。

頭痛を我慢しながら、いつも時計とにらめっこしていた。


この日は、夜は夜勤の看護師さんが予防的に痛み止めの点滴を夜中に打って下さったようで、夜中2時のバイタルチェックもあんまり記憶がなく、また朝食時間の8時に起こされるまで、入院して初めて爆睡出来た。

痛み止めの点滴を行なってくれた看護師さんに本当に感謝。


携帯で、何人かの友人に入院の報告をした。

皆、とてもびっくりして、心配してくれて、応援の動画や写真なども送ってくれた。

入院中、友人達からの連絡がすごい支えだった。

そして、元気になって会いたい!と思った事も、治療を頑張る気力に繋がった。


この時、私は「後遺症もなく、元気!手も足も動く!」と友人に伝えていた。

しかし発症から14日間はとても大事な時期で、14日間が過ぎた時に看護師さんより「無事に2週間過ぎて良かった。最初意識がある人が途中で…って事もあるから。」と言われて、驚いた。


14日目までは、脳血管れん縮といって、脳の周りに回り込んだ血液が脳血管に悪影響を与え、脳血管れん縮を引き起こし、脳血管が縮んでしまうのです。重度になると脳に血流が送られなくなり、脳梗塞をきたすことがあるため最大限の注意を払う必要があります。

この期間は集中治療室で厳密な管理を行うのが一般的なようです。


携帯電話が触れるパワーが出て、「くも膜下出血」を検索し、ネガティブな事が書いてある記事が多く、すぐに検索するのをやめた。


特に「クモ膜下出血は一般的には後遺症なく社会復帰できるのは、3割に満たないとも言われるほど予後が非常に悪い病気です。」という表記に、驚いた。

約3割は死亡、約3割は後遺症、約3割は社会復帰と…そんなに大変な病気になってしまったとは驚きだった。


でも、不思議な事にどこかでずっと「大丈夫!」と感じていた。

頭痛で起き上がれなかったが、体感的に後遺症がなく、治療を頑張ればまた元気になれると感じていた。

そして、その感覚があるから、退院後の事などでネガティブになったり、不安になったりする事は、ほぼなかった。