闘病2日目(術後)
麻酔から目がさめると、とにかく苦しくて、吐き気がした。
周りに何人か人が居て、名前を呼ばれた。
状況がよくわからなかった。
カーテンから顔を出した男の人(Dr.)が、私のベッドサイドに立っている人(Dr.)に「抜管して良いよ!」と言っていた。
目もまだ開けられず、よく解らないけれど何か苦しくてゲホゲホしていたら、またその人が来て「もう限界やろ。早く抜管!」と言っていて、近くに居た人(Dr.)から「◯◯さん、お口の管抜きますね!」と言われ、吸引されながら、抜管。
かなり気持ち悪く、苦しく、しんどかった…
看護師さんに「◯◯さーん!解りますかー?」と声を掛けられ、バイタルチェックや意識確認をされた。
声があんまり出なかったが、看護師さんより「喉に管が入ってた影響ですからね。すぐに治りますからね。」と説明される。
この時点では、まだ鼻から胃に管も入っており、喉に違和感や痛みがあった。
飲み込みのチェックでオッケーが出れば、鼻から入っている管も抜けると言われた。
飲み込みチェックで、少量の水を飲み(飲み込む時に看護師さんに喉を触られる)、許可が出た為、鼻の管も抜管となる。
鼻の管を抜くのは、口の管に比べればマシだったが、やはり気持ち悪かった。
両手に点滴のルートが繋がれており、更に指にパルスオキシメーター、左手の動脈にAライン、尿の管と身体の色々な所に色々な管が繋がっていた。
また、手術中に液漏れしたらしく、左手には大きな痣も。
両手の手の甲にも、針を刺した跡があり、両足の甲にも、何か跡があった。
両足は弾性ストッキングを着用していた。
とにかく自分の置かれている状況が全く解らない。
全身麻酔だった為、救急室からの記憶がない。
ただ、頭痛や吐き気、身体のだるさがひどく、苦しかった。
場所も目覚めたら、SCU(脳卒中集中治療室)に居た。
→SCUと吸飲みに記載があり、ICUやHCUは働いていた病院にもあったが、SCUが何か知らず、後日、携帯電話を触れるようになってから、「脳卒中集中治療室」という存在を知った。
家族が面会に来てくれた。
(家族は、真夜中に病院からの電話を受け、真夜中に車で何時間もかけて来てくれた模様)
いつの間にか、家族が入院に必要な物品など購入してきてくれていた。
遠い所に住んでいる家族が来てくれていて、救急室以降の記憶が抜けている私は不思議であった。
(家族は、真夜中に病院に来て、明け方の手術終了まで待機、手術後に説明も聞いてくれた。
なお、手術後の説明では、目が覚めるまでは後遺症は解らないと言われたようで、後遺症の話を含め、色々ヘビーな話もされた模様。)
目が覚めて、少し意識がしっかりしてきた所で、看護師さんから、私に入院と伝えられ、私はヘロヘロながら、「入院になるんですか?どれくらい?」と入院することに対して驚いて聞いていた。
(→入院に驚く辺り、やはり状況が解っていなかった…。)
事前に説明を受けていた家族から、「入院はここでは1ヶ月くらいみたい。状況によっては転院。」と教えてもらう。
職場には入院となり仕事を休む旨、家族が電話してくれるとのことで、意識が戻って間もなくあまり話せない、しんどい中、今思い出せる分だけだが、受け持ちの仕事の引き継ぎを伝える。
記憶はかなりおぼろげ。
手術は、「脳動脈瘤コイル塞栓術」であり、脚の付け根から、カテーテルを使い行う手術であった。
術後は、脚の付け根を圧迫し止血するのだが、目が覚めた時点では、圧迫は終わっていた。
この日は、痛み止めと吐き気止めを何度も使用。
ちなみに、バイタルチェックと意識チェック、身体の動きのチェックは、入院日〜発症14日目くらいまでは、4時間毎に行われた。
意識チェックでは、[名前・生年月日・今日の日付・今居る場所]を確認される。
身体の動きのチェックでは、[手を片方ずつ上げ看護師さんの手を押し返す、足を片方ずつ上げ、看護師さんの手を押し返す]を行う。
そして、血圧測定、体温測定、瞳孔チェック。
4時間毎の時間は、朝6時・10時・14時・18時・22時・夜中2時であった。
頭痛で細切れにしか睡眠が取れず、又元々睡眠が浅く寝つきが悪い為、夜中2時のチェックはかなり苦痛であった。
また、真夜中で日付が変わっている為、[今日の日付]への返答もよく考えないといけないし、手足も動かす為、夜中2時にいつも目が冴えてしまっていた。
〈SCU(脳卒中集中治療室)について〉
SCUは、一般的な大部屋と同じように、カーテンで仕切られていた。
また、個室も2部屋あった。(カーテン仕切り4床+個室2床の全6床)
カーテンの仕切りも個室も、どちらも1人のスペースは8〜10畳ほどの広さがあり、真ん中にベッドだけ置いてあり、広くてがらんとしていた。
仕切りのカーテンは茶系の落ち着いた色で、病院のカーテンは薄ピンクのイメージだった為、驚いた。
SCUは、電気がかなり明るく、刺激に感じた為、カーテン内の電気のみ消してもらったり、片側だて電気を付けて調光を暗くしてもらっていた。
しかし、カーテン上部は隙間があり、SCU内の灯りが漏れてきていた為、眩しかった。
私が最初に入ったベッドは、目の前がナースステーションであり、Dr.や看護師の話も全て聞こえてきていた。
「◯◯さん(私)、ご飯食べられていない」というのが、いつもプレッシャーであった。