私は私なりに変化をしたタイミングというのがありました

 

 

そのタイミングは多くの場合

あとから振り返って

 

 

 

あのときがきっかけだったんだな

 

 

 

と思うのですけど、

そうやってあとから思い起こすときに

登場する人物がいます

 

 

 

Mさんです

 

 

 

かつて、私を朝から電話で1時間以上も

叱咤し続けた人

 

 

かつて、私の写真に対して

冷たくておもしろくないと言った人

 

 

 

それ以外にも色々あるんです

 

 

 

さて、私は最近、自分なりに写真をやっていこう、自分のスタイルでやっていこうと思えるようになりました

 

 

 

それまでも、私は自分なりに「良い写真を撮っている」と思っていたけど、

どこか自信がなくて、もっと「上がいる」という気持ちから

人に見せるのが怖いと思っていました

 

 

 

それを押しのけて

色々な人にみてもらおうと思えるようになったきっかけは

 

 

占星術で自分の星を見てもらって

弱点としか思えない性質を強みにしてしまう方法を知ったからです

 

 

 

私は、Mさんのことをとても信頼しているんです

今もすごく信頼している

 

 

そんな信頼している人に

 

 

あなたの写真は冷たくて面白くない

 

 

と言われたらどうでしょう

 

 

元々なかった自信がますますなくなりませんか?

やっぱり私の写真なんて魅力ないよなって思いませんか

 

 

私は思いました

 

 

その頃から私は文章を書くのも好きだったから、

じゃあやっぱり文章なのかなと思ったこともある

 

 

Mさんには、文章いいと思うよと言われたこともある

 

 

じゃあ、文章なのかもって思ったものの

なかなかうまくかけないし、何を書きたいのかもわからなかった

 

 

時は流れて

ほんの1、2年前のこと

 

 

写真しかないんだから、やりなよ、どうしてやらないの

文章なんて全然わからないことしかかけないじゃん

 

 

と言われたんです

同じMさんに

 

 

 

その頃の私、写真で食べていきたいなんて思ってませんでした

文章との並列でいくしかないって思ってました

 

 

 

でも、以前言われたこととまったく逆のことを言われたんです

 

 

 

そして、今

 

 

 

私は写真をすごくやりたいと思っているし

自分の写真は人からどう見えようとも、自分の撮りたいように撮るって思えるようになった

 

文章も同じ

 

伝わらなくてもいいから自分が書きたいように書くって思ってる

 

 

 

それで、今になって思うんですよね

 

 

 

結局、第三者の言葉に頼ろうとして、自分の足で立っていなかったんだなって。

 

信頼しているMさんが言うんだから、私は写真の才能があるんだ。

信頼しているMさんが言うんだから、私は写真の才能がないんだ。

 

そうやって良いことも悪いことも、

全部人に委ねてた。

 

自分のものにしていなかった。

 

 

 

Mさんが何を意図していたかわからないけど、

今の私だったら、Mさんに何を言われたとしても、

 

 

私はコレが好きでこういうことをやりたいからやるんです

 

 

って言おうって思ってます

 

 

 

どんなに信頼している人が言っていることでも

どんなに素晴らしい頭脳を持つ人が言ってることでも

 

自分と違う意見だったら、取り入れる必要なんてない

(もちろん、取り入れたっていい)

 

 

 

そういう価値観をちゃんと持とうって思います。