ブログ記事を書いては消して、
書いては消して、
しています。
どうにも、私の腹のなかがフツフツと煮え立っていて、あちこちにトゲのある内容になってしまうのです。
おとといの夜なんかは、
ちょっと寝られないくらい、
意識が沸騰していました。
私はもともと短気で、
細かく怒ります。
だれかに怒るというよりも、
なんでそういうことになってしまうのだ!?
という、やり場のない怒りが多い。
発散しづらい上に、
怒りの度合いも大きい。
毛穴が開くくらい、猛烈に怒りが湧いていたりする。
怒りのエネルギーの活用については、
以前も記事にしました。
大切なのは、
怒っているという感情を無視しないこと。
私は怒っているのである!
と、認識する。
その上で、自分が向かいたい方向にそのエネルギーを使う。
私で言うならば、
日常を哲学する方向に使う。
私の腹の中でフツフツしてる怒りは、
たぶん、昨日今日起こった出来事に対してではなく、
毎日少しずつ蓄積してしまったもの。
何かと言うと、
どいつもこいつも同じことばっか言ってんじゃねーよ!
なのである。
最近、SNS(インスタとアメブロ)を見ていると、
同じ人が何人もいるように見えるんです。
あれ、この記事の感じ、デジャヴ……
みたいな。
今で言うなら、
やたらと大文字で「自分ビジネス」と書いていたりする。
なんかもう、
うるせーな全員黙れ!
という気持ちになる。
おもえば、昔から私は流行り物が苦手で。
できるだけ、流行に逆行してきた。
それは、「私は人と一緒は絶対嫌!」という想いが腹の中にあったから。
そのことに気が付いたのは、
祭りTheONEに参加したときだった。
自分の中に、人と同じじゃ絶対に嫌なんだという気持ちを見つけるまでは、単純に天邪鬼なんだと思っていた。
そして、素直にならない自分を否定していた。
そんなこともあって、
私は、何かをするときに、
どうしても「オリジナル」であることにこだわってしまう。
こだわると言っても、
所詮は私の器の中から出てくるものだから、
この世のどこかにすでに存在しているものなのだけど、
それでも、
自分じゃなければいけない理由
をどうにかして見出したいと思っていた。
憧れる人がいたら、
その人のやっていることを真似しつつ、
ちょっと自分用にアレンジしようとしてきた。
もちろん、
しっくりこない!!!
当然だ。
だって、他人の軸に寄り添わせているんだもん。
自分のやりたいことを、
やりたい形で表現しなきゃ、
しっくりくるわけがない。
だから、模索している。
結果も答えも出ないかもしれないけど、
それでも、
自分とは一体何者なのか。
それを見つけていくのが人生だと私は思っている。
だから、
右に倣えで、頭も捻らず、
流行りのものをただただ身につけている人や、
誰もが言っている言葉を羅列するだけの人を見ていると、
虫唾が走る。
気持ち悪い。
どうして、
自分はその程度だって思ってるの? って。
憧れる人がいて、
同じようになりたいと思って、
真似をしてみるのはすごくいいと思う。
でも、
あなたはその人ではないし、
あなたはその人にはない絶対的な魅力を持っているのに、
どうして、それを隠すの?
って。
そういう怒りがすごく湧いてしまうんだと思う。
他者に対して沸き起こる、
この手の怒りについては、
先日も自分の中で向き合いました。
まっすぐそのまま、
その想いは自分に向けられている。
★ここから追記
しーちゃんがブログでこんなことを書いていた。
紹介したウーマンラッシュアワーの村本さんの記事にも触れてる。
いい記事なの、本当に!
枠の中と外を行ったり来たり
もしかしたら、
私が何かに触れて怒りが湧く瞬間って、
枠の中にいることをすごく感じて、
窮屈になってる瞬間のような気がする。
なんでだよ!
嫌だよ!!
って感じている瞬間に
怒りとしてエネルギーを発して
本来の自分に戻ろうとするのかもしれない。
★追記ここまで
私はやっぱり、
他の誰でもない自分であることを望んでいるし、
誰かの言葉を広める役目は担いたくない。
というか、楽しいと思えない。
だって、私がやりたいことは「日常を哲学する」ことだから。
私は、色々な占い関係の属性で
火
破壊と再生
開拓者
一番
スピード感
こういった要素ばかりを持っているタイプです。
人と同じじゃ嫌だし、
一番になるために、
自分だけのステージに立ちたい。
そういう性質なんだと思います。
だからこそ、
人と同じであることや、
誰かの下で二番手を甘んじている人を見ると、
落ち着かない気持ちになってしまう。
その人生、楽しいの!?
って、理解できないんだと思う。
でも、私は必ずしも自分の人生を誰かに委ねる人に否定的なわけじゃない。
本人が本心からそう思っている人には、
本当にびっくりするくらい、
自分の軸がしっかりしてるんだ。
って尊敬の念を抱く。
だって、
他人の軸に合わせて生きると決めるのって、
自分自身に強い信頼がないとできないことだ。
何かあっても、
その人のせいではなく、
自分がその人を選んだのだから、
それに何より、
何があったとしても、
自分なら大丈夫だから、
この人に自分のすべてを委ねる。
そういう強い覚悟が背景にあるから、
言葉に力が生まれる。
私のおばさんは、そういう強い人だった。
本当に私はびっくりした。
この人、こんなに強い人だったんだ、と初めて知った。
そして、それが分かる自分になっていたことが嬉しかった。
私も迷走しながら、
色々進めてきているけれど、
日常を哲学する
というフレーズが自分の中に出てきてから、
バチッとすべてがはまった。
やり場のなかった怒りも悲しみも、
すべて、
自分のやりたい方向に向ければ、
それは、良いエネルギーに変えられる。
私は、
やりたいこと=日常を哲学すること
だとわかったから、
そこに向けることができる。
でも、それが分かっていないうちは、やっぱり迷走していた。
すごく腹が立つ、
どうしてこのことに腹が立つのか、
自分は一体、何がそんなに気にくわないのか、
本当はどうしたいのか。
そんなことをグルグルと考えていた。
私の場合は、
自分に起こるあらゆる出来事を
自分にとって
どんな意味を持っているのか
自分はどうしたいと思っていたから
その出来事が目の前にやってきたのか
目の前にある事実から
自分の人生の本質とか
真理を見つける
それだけがやりたいことだから、
それをやるための出来事が起こっているんだなぁと思う。
本当に、
あらゆるものに触れ
人に触れ
出来事に触れることで
自分の居場所は明確になっていく
自分の居場所が明確になれば
向かいたい先へたどり着くための一歩を踏み出す方向もわかる。
そのために、
今日も日常を哲学していく。
怒りの感情や強いエネルギーはそこに向けて使う!
はー、でも、なんかまだスッキリしてないな。
もっとはっきりと腹落ちする内容がある気がする。
またきっかけ見つけて哲学してみます♡
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