そういえば、
「自分らしさ」
って、
とても曖昧にしているような気がします。
 
 
漠然と
私ってこういう人
という輪郭だけ持っている。
 
背が高い、
とか
社交的にみられる
とか
割と冷静
とか。。
 
 
ただ、それって実は
隣に何を並べるかによって、
変わってしまうんですよね。
 
 
自分より背の高い人には、
背が高いとは思われないだろうし、
 
慎重な人には、
八方美人って思われるかもだし、
 
陽気な人から見たら
冷静さは怖く見えるかもしれないし。
 
 
 
「自分らしさ」
というのを、
実はすごーーーーく曖昧にしている。
 
 
 
仕事の中で表現する
「自分らしさ」について、
荒木宏文さんの記事でも読んで。

 

詳細については触れていないんですけど、
なんとなく感じたのが、
 
 
「自分が思っている自分らしさ」は、
実はただの「結果」だったりするのかもなぁ、と。
 
 
人生って、
 
インプット → 
処理 → 
アウトプット
 
の繰り返しです。
 
何かしらの情報をキャッチして、
それを何かしらの回路で取り入れて、
何かしらの形で反応する
(何も出さないこともアウトプットのひとつ)
 
小さいことから、
大きいことまで、
全部、この回路を通して
アウトプットすることで自分というものが完成されていく。
 
 
さて、
この流れの一体どの部分をさして
「自分らしさ」と捉えているのか。
 
 
という話。
 
 
 
いつ、
どこで、
誰といても変わらない自分でいる。
 
 
 
そのために必要なものは、
自分という回路。
 
回路はフィルターと言い換えてもいいし、
核と表現してもいい。
 
 
ともかく、
あらゆる情報はそこを通過して、
解(アウトプット)となって出てくる。
 
 
だから、解は柔軟に変わるものでよくて、
解しか見ていない他人からしたら、
まるで、その時その場で様子が違って見えるかもしれない。
 
 
それでいい。
 
 
フィルターにさえ正直な自分でいれば、
自分にとっては、
そこを通過した解は必ず正解だから。
 
 
これは、自分らしさという公式だなと思う。
 
 
インプット × 回路 = 解(アウトプット)
 
 
という公式を使うときに、
解を固定してしまったら、
毎回回路を変えなければいけなくなる。
 
 
回路っていうのは、
自分の核であり、
フィルターであり、
常に変わらない自分の大切にしている信念みたいなものだから、
そこを「解」のために変えるのは、
かなりつらいと思う。
 
下手したら、
インプットする情報を受け入れられない可能性も出てくる。
 
解にふさわしいインプットだけを求めたくなるかもしれない。
ともかく、苦しい!
 
 
でも、回路を決める方法ならば、
どんなインプットが来ても、
それにふさわしい「自分のフィルターをとおした」解が出せる。
 
 
そこには安心感が生まれるし、
幅も生まれる。
 
 
 
自分らしさを知るまでには、
いくつかのステップを踏まなければいけないのかもしれない。
 
 
  1. 自分らしさという解を決める
  2. 求める解をはじきだす公式を見つける
  3. どんな情報も受け入れる度量を持つ
  4. 公式を使って解を出し続ける
 
 
 
こんな感じで。
トライ&エラーを続けていくことで、
ブレない自分とか、
苦しくない自分が見つかっていく。
 
 
それを見つけるためには、
やっぱり徹底的にどんな瞬間でも自分に集中するしかない。
 
常に、常に、
自分は今どう感じているのか、
どうしたいと思っているのか、
そのためにできることはあるのか。
 
 
そういう問いかけをし続けて、
そのときに生まれた欲望に正直に行動し続けて。
 
 
そうすると、
いつの間にか
誰から見ても変わらない
「自分」
になっているんだろうなぁと思う。
 
 
まずは意識的に、
色々な人に会う中で、
自分の公式を見つけ出すこと。
 
そのためにも、
 
いつ、
どこで、
誰といても変わらない自分。
 
を意識していく上差し
 
 
 
これを繰り返していくんだな~と思います。
どんなシーンも練習だな! と思うと、
今までは人に会うの面倒くさいと思っていたのが、
積極的に会いたくなるんですよねwww
 
 
この人といるときの自分は、
一体どんな反応をしているんだろう? という視点ですねww
 
 
よし、ますます色々な人に会っていくぞ~炎