2016年9月19日の敬老の日の夜、石川県金沢市内にある広坂カトリック教会で62年間司祭としてお仕事されていたイタリア人のエンリコ・アロイジノ・カグニン神父さまが亡くなられたとの連絡を受けました。1954年に船で日本へやって来てから数年後にエンリコ神父さまが教授として教鞭をとっていた時代の弟子であったクリストフォロ・ジョバンニ・カルワザン神父さま(30年前に私に洗礼を授けて下さった司祭⇒http://ameblo.jp/tomoching2/entry-11334418840.html )とステファノ・ビリオ神父さま、アルマンド神父さま等の若いイタリア人司祭たちを日本へ呼び寄せ、イタリア人宣教師チームとして北陸地方で宣教してこられました。戦後直ぐのことでしたので恐らく北陸地方で暮らす方々にとって始めて見る外国人が彼らイタリア人だったでしょう。

 

私も急遽新幹線で金沢へ向かい葬儀ミサに出席しました。ヨーロッパ人ってそうなのか分かりませんが、ヨハネ・パウロ2世がお亡くなりになられた時と同じようにエンリコ神父さまのご遺体も白い蝋人形のようでした。ヨハネ・パウロ2世のように腐敗防止処理をしたのかとお聞きしましたが、特にそのような処理はしていないとのことでした。やっぱりキリスト教徒は救われるという条件が前提となっている為か、数人の信者さんたちがエンリコ神父さまのお顔を撮影していました。私が「ご遺体なのに撮影していいの?」と質問すると、その方が「○○新聞に載せるから・・・」とおっしゃっていました。キリスト教徒というかカトリック信者はこの世でも片足を天国に突っ込んで生きているようなものなのでご遺体を見ても、ご遺体の撮影をしても怖くないのですね・・・。心霊写真になったらどうしよう?と考える私は不信仰者なのでしょうね。

 

 

でも、よく考えてみるとエンリコ神父さまのように92歳で糖尿病で亡くなられるのは幸せな死に方だと思いました。先月フランスの片田舎にあるカトリック教会で主任司祭をされているジャック・ハメル神父さまのようにイスラム国に首を切られて殉教する聖職者もいる訳ですから、本当に日本へ平和な国だなと思います。私がそう言うと、私のカトリック信者である知人は「神父だから選ばれてイスラム国に殺された訳だから聖職者としてこれほど名誉はなく、これが聖職者としての本当の死に方なんです。殉教するってことは名誉なんです。」と。確かに列聖される聖職者たちは殆どの場合殉教していますが、しかし実際問題としてこれほど恐ろしい死に方はないと不信仰者の私は思いました。中東諸国では、主にシリアではキリスト教徒がイスラム国に迫害されナチス同様に虐殺されていますが、もしそれが殉教だとしてもイスラム国の無慈悲と野蛮さを変えることができないような気がします。パキスタンではキリスト教の改宗した娘をその両親が「恥知らず」と呼び自分たちの娘の首を切って殺して事件もありますし、ドイツでは難民問題で頭を悩ませている状況です。神さまによる奇跡が起きない限り殉教者たちは無念のまま忘れ去られてしまいそうです。

 

 

1986年6月に広坂カトリック教会で堅信の儀式を受けた際の写真です。左から、私の堅信代母であるドイツ人シスターのエデルガルディス、エンリコ神父さま、相馬司教さまです。この頃は既にエンリコ神父さまは62歳だったのですね。金沢の教会の皆さんと過ごした時期が私にとって人生の中で一番幸せでした。いつも私は心の中で「金沢には私の本当の友がいる」という気持ちがある為、何時でも何処へ行っても私は魂の寂しさを感じることはありませんでした。東京にいて聖公会に通う男性信者の方が私に「カトリック教会には馴染めませんでした、だから聖公会へ来ました」とおっしゃっていましたが、私にはさっぱり理解できませんでした。心の中で「キリストのように全ての人間を大きな心で受け止めることができない貴方はキリスト者として失格なんじゃないの?」とさえ思っていたくらいです。しかし、皆さん年老いて亡くなっていく方々を見ている間に「金沢には私の本当の友がいる」という気持ちも少しずつ変化し始めました。「いつかは私の本当の友が金沢から全員いなくなる」ということに気付き始めたからでした。しかし、私の心の友が全員金沢から天国へ去っていく頃には私も人生を終える準備をしなければならないことにもふっと気付き「金沢から心の友がいなくなって寂しい」と思うより自分のことを心配する方が先だと思うことにしました。あの頃のまま時間が止まるなんてことは無理ですから・・・。

 

それにしても、カトリック司祭の方々は家族のないまま生涯を神に捧げて異国の地で宣教し、永住権を持たないまま外国人として生活し、外国人としてその国の言葉を話して現地で生まれた子供たちや改宗者を育て、その他に国際人としての役割を果たされていることを考えてみると凄いな~と思います。エンリコ神父さまは長年石川県ロータリークラブ海外派遣選考の際のスタッフとしてイタリア語面接官を務め、名古屋市とトリノ市が姉妹都市を結ぶ際に何回も東京のイタリア大使館へ行き交渉して名古屋市とトリノ市の姉妹都市関係を成功させました。自分が得るものは何もないが、その国の為に貢献し功績を残している訳ですから素晴らしいです。私に30年前に洗礼を授けて下さったクリストフォロ神父さまは昭和53年に日本で初めて知的障碍者たちが働くことができるパン工場つき障碍者施設「聖ヨゼフ苑作業所」を設立し現在でも毎日クリストフォロ神父さまは知的障碍者と共に「聖ヨゼフ苑作業所」でお仕事されています。2013年に亡くなれるまで上智大学の理事長をされていたルーメル神父さまは日本でモンテッソーリが提案した教育方針を勧める「日本モンテッソーリ協会」で理事長も務めていらっしゃいました。その他にもカトリック団体が運営する学校や病院、全国薬物依存症者家族連合会「ダルク」もあります。

 

これを言っては失礼かも知れませんが、私が通っていた正統派ユダヤ教シナゴーグのラビは15年前に来日して以来特にこれといった功績はないが、それよりも何よりも収入がないのに10人の子供を育てる為にユダヤ教徒ではない日本人たちを集めてその寄付金を資金調達源とし、宗教法人として税金を納めないのに子供手当てをもらって生活し子供が13歳になったらイスラエルの実家へ送って口減らしをするといった方法でどうにか日本で生きている感じで全く自分たちのことしか考えていません。早く言えば日本ではいらない移民なのです。外国人として100%全力をかけて異国の地で神に仕える聖職者というのは実際にそうであってはいけないと思います。それがユダヤ教の足りない部分、新約聖書の教えの無さがそうさせているのかも知れないですね。

 

カトリック教会で働く外国人宣教師たちは異国の地で決して日本人の邪魔にならず重荷にならず、それどころか功績だけを残してこの世を去っている様は日本で暮らす外国人としての素晴らしいお手本だと思いました。それを分かっていて異国で働く宣教師たちに資金援助をしている修道院とバチカンの段取りとバックアップも素晴らしいです。