2023年、統合失調症になった長女は25歳に、私は50歳になりました
発症から10年
昨年12月に転院して新しい主治医の元、薬合わせをしてもらいつつ、生活自立訓練施設入所に向けて体験利用までできるようになりました
入所が決まれば、2年間施設で生活訓練してその後はグループホームかな…という感じ
下の娘は18歳、今年高校を卒業しました
長女が発症した頃は、まだ小学4年生
遠方の病院に入院していたので土日は病院へ洗濯物を取りに行って、持ち帰り、洗って乾かしてまた持って行って…の生活でした
次女、最初は一緒についてきてたけど、だんだん近くに住む私の実家にあずけることに…
幸い、実家の近くには次女と同じ年頃の子たちがいたので土日はその子たちたと遊ぶのを楽しみにしてたので良かったかな…
でも次女には、いろいろ犠牲を伴わせた負い目を感じています
そして、次女にも現在に至るまでたくさんのことがありました
その出来事はまた改めて書きます
さて、私は…
24歳になってすぐ結婚して長女が産まれ、24歳で主人の扶養になりました
長女が保育園に通っている間は、独身の頃働いていた医院でパートで働いてたけど、小学校入学と同時に辞めて、専業主婦になりました
これは、私の希望でした
私は幼い頃から母がずっと働いていたから、家に帰ってお母さんがいない寂しい思いをさせたくなくて…
そして、長女が小学1年生になって、間もなく次女を妊娠しました
長女と次女は同じ2月10日生まれ
7歳違い
私は子育てに負われる日々を送っていました
次女が小学校に入学するのと同時にクリニックにパートで働き始めました
私38歳、長女中学2年生
そして、長女は中学3年生くらいから神経質に、また、イライラしたり暴言吐いたり、次女に意地悪したりするようになっていきました
思春期かな?そう思っていました
長女が高校受験をして高校生になった頃、以前働いていた職場のスタッフが辞めると聞き、良かったら来てと言われたので再びそちらで働くことに…
次女もまだ小学校3年生なので扶養内で働いてました
そして、長女高校1年生の秋頃からジワジワと症状が出始めました
眠れないと言ったり、学校に行きたがらなくなり、学校で紹介一覧表を渡された中にあった心療内科を受診、もう少し大きな病院へと紹介状を書いてもらったけれど受診は2ヶ月先…
そうこうしてる間に隣家の工事に来ていた方に、うるさいと暴言、私に暴力、モノを投げるなどの行為…
知人に相談したら知人も通院していて初診でも診てくれるという精神科のある病院へ受診をすることになりました
薬を処方されたけれど良くならず、家にいるとご近所に迷惑かける可能性があるので朝早くから車を走らせ家の近くの静かな場所へ移動して1日過ごしていました…それが2013年3月14か15か16日のこと
そのとき寒くて時折横なぐりの雪が降っていて…この日、車で過ごした長い1日を私は生涯忘れることはないと毎年思い出します
2013年3月18日、その精神科の先生の紹介で他県の急性期病棟のある医大病院ㇸ約3ヶ月入院することになりました
長い長い闘病生活の始まりです
私は、理解ある職場で細々と行けるときに出勤していました
長女は良くなると思っていたし、病気に対しても向き合おうとしていていました
が、気付けば、現在、良くなってきたとはいえ、もう10年が過ぎていました
年金定期便が届く年齢に…中を見て、あぁ私は長女を妊娠中に仕事を辞めた24歳からずっと主人の扶養だったんだな…厚生年金かけて働いてこれなかったな…家事と育児と仕事まで、そんなたくさんのこと、私には担えなかったな…今の共働きの夫婦は分担してるんだろうけど、主人は料理できないし、朝は出勤が早いし、だから有無を言わさず私が子育てと家事をしなければならなかったし…
でも、私はそうしたかった
外で働いて、は主人が、家の事は私がする
働いても扶養内で、実母みたいに朝早くから夕方遅くまで働くのは嫌だったし、こんな生活で良かった
でも、年金の話をしだす年齢になってきた
周りの厚生年金かけながら働いてきた人たちの将来の年金の話をされると、私は…将来の年金が基礎年金だけだ
長女の繰り返しの入院、結婚当初住んでいた家も追い金払って売ったので、預貯金もない
長女のことが見通したたなければ、もう少し長く働くことも難しい
50歳…
家のローンも主人が75歳まである
家のローン払いながら主人の年金と私の年金を合わせて生活できるかな…
主人の健康も気になる55歳
そんな不安に毎日かられるようになってきました
ただ、
私と同じような方、たくさんいるんだろうな…と思う
家族の看病しなければならない方、自身が病気で働くことが難しい方、将来の自分の生活を考える暇もなく、今を必死に生きている方、たくさんいるんだろうな…
私も…将来年金だけでは到底生活は無理だろうな…
けれど、過去の私はその日その時、自分にできることを一生懸命にやってきた
だから、あの時働けていればとかの、タラレバは思わないでおこう
私は頑張ってきたよ
将来どうかなんて分からないんだから、今をちゃんと生きていよう
と、時折自分を鼓舞する今日この頃です
続く…