キュン☆
と くる瞬間。。
それはね
一生懸命な 人の ヨコガオ。。
見ちゃったとき!! (>_<)(>_<)
全力で駆け抜けて、、
それで
躓いたり (>_<)
転んだり (>_<)
ひっくり返ったり (>_<)
ボロボロになったり (>_<)
そんなこと
あったとしても、、
やっぱり
一生懸命な 人 って
ステキだよね♪
イチバン
大事な目的を知って
光に向かって幸せな道 ☆☆☆
大切に 進ませていただきたいね (*^_^*)
では 水曜日のホカホカ悠香センセイ♪
お願いします!!
☆.:*:'゜☆.:*:'゜☆.:*:'゜
こんにちは☆ 悠香です♪
今、受験生のみなさんは発表を待っている頃かな。
まだ試験が残ってるという人も、あるのでしょうね。
そんな中
大盛り上がりのバンクーバーオリンピックだけど
「いや~いい『スベリ』ですね」
「あぁっ 3回転ジャンプ『失敗』!」など聞くと
「縁起ワルイ~そんなこと言わないで!」と言ったり
(なんだか やな感じ・・・)と思ったりする人もあるのでは。
悠香も受験の時
「あっ消しゴム落ちた」の友達の言葉に
ピクン!と反応したり、
「合格を願って、今日はカツにしよう!」と
母と一緒にトンカツを食べに行ったりしていました。
受験に限らず、生活の中で
「縁起よいことがあると、よいことがおきる!
縁起の悪いことがあると、悪いことがおきるのでないか」
と気にする心ってありませんか?
だけど、縁起がいいとか 悪いとか
あるのかなぁ??
今日は「ドン太さん」のお話から
このことを考えてみましょう!
◆ ◆ ◆
ある日、縁起かつぎのドン太さん
大根の種をまくのに、畑に向かった。
途中、近所の春子さんが、ほほをかかえて小走りでゆく。
「春ちゃん、どうした?」
「歯を虫が食って、痛くて痛くて 夜、眠れないの。
それでこれから、歯医者に行くの」
すると、ドン太さん
「歯(葉)を虫が食ったって?縁起でもない。
こんな日に種まけば、ロクな大根にならんわい」
とぷんぷん言って、家に引き返した。
翌日、出かけると、隣の弥兵衛(やへい)に出会った。
すれちがった弥兵衛が手ぬぐいを落としたのに、気づかない。
拾ってやると
「はばかりさん(=恐れ入ります)」
と礼を言われた。
「なんだこのやろう。はばかりさんとは縁起でもない。
葉ばかりの大根ができてたまるか」
とまた家へ帰ってしまう。
「今日こそは誰に会っても、何も言うまい」
翌日は、決心してでかけた。
ところが
イヤなことに向こうから村長がやってくるではないか。
村長に挨拶をしないわけにはゆかない。
そこでドン太、最初から断った。
「村長さん、おはようございます。実は朝からお願いですが
今日はこれ以上、何も話さずに行って下され」
「私がものを言うのが悪いのかな」
「いえ別に、悪いというのではありませんが……」
と一昨日はこんなことで、昨日はこうで、と
大根まきができずに困っている訳を話して、了解を求めた。
それを聞いた村長さん。カラカラと笑ってこう言った。
「ドン太さん、そんな根も葉もないこと、言うもんじゃないよ」
「根も葉もなかったら、大根じゃない!」
とまたまた大根まきができなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
「はばかり」とか「根も葉もない」という言葉が原因となって
大根のできが決まる わけじゃないよね。
仏教を説かれたお釈迦さまは
縁起がいいとか 悪いとか
それはみな迷信であって、
私たちの運命は 自分自身の行いによって決まるのだよ
善因善果
悪因悪果
自因自果
と教えておられます。
因とは、行いのこと。
善い行いをすれば善い結果、
悪い行いをすれば悪い結果が引き起こる。
自分の身の上におきた運命は
すべて自分の行いによって生み出されたものなのだよと。
蒔いた種は必ず生える!
縁起とか 人の言葉に一喜一憂せず
ひたすら善いタネをまいていきましょう☆
☆.:*:'゜☆.:*:'゜☆.:*:'゜
そうだね
そうだね
蒔いたタネは必ず生える!
自信が ないとき・・・
不安な とき・・・
いろいろなことに
翻弄されて
ますます弱気になってしまうことって
ありがちだけれど、、
(>_<)(>_<)
蒔いたタネは必ず生える!
あくまでも
自分の「運命」のすべては
自分のまいたタネ
「行い」が生み出したものなのだと
お釈迦さまは
教えておられるんだね。
そうだね
そうだね
なんだか
ともちゃん
元気になってきたよ~!!
ありがと~っ☆
悠香センセイ~っ☆
来週も
よ・ろ・し・く~っ☆☆☆