『ナショナリズムー名著でたどる日本思想入門』 浅羽通明 | 友野雅志の『TomoBookWorld』

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『ナショナリズムー名著でたどる日本思想入門』 浅羽通明、ちくま新書。

ナショナリズムに関する本を同時に、十数冊読み進めている。橋川文三氏で三冊、北一輝について五冊、丸山真男氏で四冊、久野収氏で二冊、他数冊という具合だ。いろいろな著者のいろいろな著書を同時に読み進めると、ひとつはっきりとしたメリットがある。読んでいる一冊を距離をおいて判断できることである。

そして、その中には期待よりも著者の言葉、つまり命がこめられていない時があり、少しがっかりする。多くの場合、そうした本については何も書かない。書くわたしも心地よくないし、万が一、その著者や出版社の人が読むと嫌な思いをするだろうと考えるからだ。

しかし、「ナショナリズム」については書かないといけないと思っている。

副題で「名著でたどる日本思想入門」とあるように、「ナショナリズム」にまつわるいろいろな本からの引用で成り立っている。

内容は次のようになっている。
序章・・・・日本ナショナリズムとは何か
第一章・・ナショナリストの肖像
第二章・・郷土のナショナリズム
第三章・・友情のナショナリズム
第四章・・国土のナショナリズム
第五章・・文化のナショナリズム
第六章・・革命のナショナリズム
第七章・・男気のナショナリズム
第八章・・歴史のナショナリズム
第九章・・社会のナショナリズム
第十章・・軍備のナショナリズム
終章・・・・日本ナショナリズムの現在

著者は、小林よしのり氏のナショナリズムを引き出してきて、こう語る。「なぜ、『ネイション』=日本が大事なのかも、合理的に説明するのは不可能である。」こうした理知的な考察がある半面、「ナショナリズムとは、思想というよりも、意識しようとすまいと、我々のほとんどがその上に乗って思想し行動している前提のごときものなのだ。」・・・・・これは誤りである。ナショナリズムは思想ではない、それはわたしも同感である。しかし、その上に乗って思想し行動している前提ではないだろう。もし、それを呼ぶなら、郷土愛・パトリオティズムというべきだろう。

ナショナリズムは国家に属することではぐくまれるのか、教育によって植えこまれるのか、それは民族を越えるのか。現代の中国・ロシアを見ても、戦前の日本の植民地での皇国教育の結果を見ても、ネーションに属することで育ってくるのではなく、また教育によって植えこまれるものでもない。

著者も、パトリオティズムは自然な人間の感情であり、その感情からどのようにナショナリズムへと移行していったかをさぐろうとする。それが、第二章から十章までの内容である。

しかし、友情、国土、文化、革命、男気、歴史、社会、軍備、それらを通してナショナリズムが成立する様子を書こうとすればするだけ、ナショナリズムは見えなくなっている。友情、国土、文化がナショナリズムの幹となり、独立した自尊心を育てたのか?著者は、自尊心と劣等感を併せ持ちつつ、自尊心の方へ踏みだすのがナショナリズムととらえているようだ。よって、「日本人の穏やかさ」「日本独自の美意識」「男気に感動して集まる義侠心」がナショナリズムのぼんやりとした中身として書かれる。その後は、朝鮮戦争・ベトナム戦争特需による高度成長の自信、そして、最近の軍備を強化することが「普通の国家」になることであり、最終的には、誇れる「伝統」をもつことがナショナリズムという。

著者は、「ナショナリズム」を思想として考えている。ナショナリズムはパトリオティズムを国家が組織化し、ネーションに集めた幻であろう。ネーションが権力を持っている限り、ナショナリズムを超える感情は生れてこないだろうと思う。

多民族を強制的に同一化しようとする、戦前の日本のようなネーションが多く、また、民族の違いで殺戮を繰り返しているネーションも、東南アジア・南アジア・中近東・アフリカ・ヨーロッパに多く存在する。まだ私たちは、ナショナリズムを俯瞰する視点を手にしていないのではないだろうか。百五十年前、民族主義(トリビアリズム)を見降ろす眼をもっていなかったように。

現在の評論界が「ナショナリズム」をどこまでとらえているか、どのようにとらえようと考えているかを知るには最適である。

(2014.01.12)