本当にどっちでもいいんです。

いい気分、嫌な気分、どっちも感じていい。

叶っても叶わなくても、どっちでもいい。



??????

どっちでもいい?

ドッチデモイイ?

そんなハズない…。

いいわけがない。


と思った。


どっちでもいい



設定変更でよく聞くこのワード。

私はいつも混乱する。

そんなハズない、と抵抗してしまう。



どっちでもいいと思えない。

例え、在り方だとしても

どっちでもいい、とは思えない。



いい気分だけ味わいたい。

嫌な気分は味わいたくない。

願いは叶ってほしい。

叶わないなら願わない方がいい。

そんな風に思った。



今はよく分からないけど

どっちでもいい、

という案件はそのままにしておく事にした。



そんなある日、

オンラインサロンに投稿した私のコメントに

えつこさん



苦しい残念な自分をこれも私の感情と

一旦マルっと受け入れる。

まずはこれだけで良いです。


とコメントしてくれた。




あぁ…。

私は今まで

苦しい残念な自分を

受け入れないで

感じないで

この現状を何とかしようと

躍起になって行動してた、と気付いた。



嫌な気持ちを感じたくない、

が強すぎる。



だから、ことあるごとに

誤魔化して感じないようにしていた。



例えば、

今月の家計簿のやりくりで

予算を超えそうになると

ものすごく気分が悪くなるアセアセ



ここで、どうして気分が悪くなるのか

もう一歩踏み込んでみればいいのに、

嫌な気持ちにならないように

特別費として

家計の貯金からお金を出して

誤魔化す、ということを長年やってきた。

この一連の流れは

無意識でやっているので

本当に気付かなかった。



えつこさんは


いい気分だけ欲しい、

悪い気分はいらない、

と選り好みしていると

どちらも感じられなくなる。

どちらも私の大切な感情。

どの感情も全て受け入れる。

その上で

いい気分が好きだなと好みを持つ。

これが最高の在り方



と伝えてくれた。



確かに、

私はいい気分だけ味わいたかった。

でも、いい気分の時も

私の目の前に

アクリル板があるような感覚で

他人事のように感じていた。

目の前の出来事を

五感で感じられていなかった。



感じているつもりだったけど

全くの見当違いだったことに気付いた。



どの感情も全て受け入れる、

とすれば

どっちでもいい、と思えるのかも?

と初めて思えた。





何年ぶりのキハチのロールケーキラブ

やはり美味しかったラブラブ