8月の、赤もち講演会は、お子様むけ講演会でした。
母が、できない事も増えてきたりしていた最近。
母が生きているうちに、私を少しでも知ってもらいたくなった。
そんな時、子どもむけで、夏休みで、娘も参加する講演会に。
娘と一緒なら、いや、娘と一緒に来てみてほしい。
なんと言っていいか、難しいけど、
私は、母に近よりたかった。
母から、私に近寄ってきてほしかった。のだと思う。
身体の話ではなく、心を近づけたかった。
だから、断られるのが、とても怖かったけど、聞いてみた。
講演会に、娘と来ない?と。
私の結婚式を、服がないからと断られた時の悲しみがよみがえる。
結果は、行く。だった。
行くと言われたものの、人の話を、まあ聞かない母が、赤もちの話が聞けるのか、それはそれで、仕事の邪魔になるかもとか、いろいろ思ったが、来てくれるなら、それでいい。
講演会スタッフの私と行くのだから、準備から参加な母。
支部長も、理事も、母に挨拶してくれる。
ありがたいなー、と、とても嬉しかった。
私は、母に話すのが、超絶苦手。
聞いてもらえない恐怖と、いつも戦っている。
だいたい聞いてもらえないので。
たいがい、その戦は、負け戦。
そんな中、準備に忙しい支部長。
ふと見たら、一瞬、理事の手が空いた。
すかさず、理事に、母にワークの説明をしに行ってもらいたいとお願いする、ずうずうしい私。
連れてきたくせに、後は人にお願いするとか、本当にすいません、状態。
理事は、もちろん笑顔で母のもとに行ってくれた。
二人が話す場面をみて、なんともいえない嬉しさが溢れる。
そして、参加者のお客様や、仲間の先生がたが来られ、先生がたも母に挨拶してくれる。
嬉しかった。
小学校から一緒の先生も、私の母に、かけよってくれる。
それは、また、とても嬉しかった。
私が近寄れないからか、私の大切な人が母と接していると、さも自分が近づいた気分になるのかな、とても嬉しい。
あの感覚は、いまだ、謎。
いや、なんとなくわかってるけど、言葉にするのが難しい感覚。
そして、講演会が始まる。
自分はどんな人?をテーマにワークをしました。
母には、私の事を書いてみて、と言いに行き、私は講演会スタッフとして仕事へ。
ワーク中、何か書き出してくれていた。
母にとっては、長かった講演会が終わり、母にはバスで帰宅してもらった。
私は、その後も講座があったので。
母が、会場を出たあと、母が書いていたワークを見てみた。
書いてある内容は、母の個性らしい。
私は、この文章を、嘘くさく感じる。
日頃の出来事もあるのでね、どうしても嘘くさい。
だけれども、赤もちの個性を踏まえると、、、
泣ける。
母と、1ミリくらいは、心が近づけたような気がする。
私には、母との距離を近づけるのに、赤もちが、必要だったのだ。
赤もちを知ってはくれないけど、
でも、講演会に来てくれた。
ワークを書いてくれた。
あぁ、私は母に対しての感情が、どんだけ、こじれてんだ。と思う。
でも、それはそれでいい。
母は年老いた。
私が欲しかったものは、若かりし母から欲しかったもので、今の母からもらいたいわけじゃない。
あぁ、やっぱり、ここだ。
今の母から、もらえるもの。
それを大切に。
欲しかったものは、自分の中から、どうにかしよう。
そして、私の背景を知る仲間が、そのワークを読み、泣いてくれた。
欲しかったもの、そのものは、ない。
だけど、それ以外のものが、たくさんある。
もしかしたら、近い将来、それ以外のものが、欲しかったものと同等のものだと、見えるかもしれない。
そんな気がする。
赤もちを使い、自分をみつめる。
見たくない自分をしっかりと見る。
私のペースで、まだまだ見ていく。
私にとって、赤もちは、自分を見つめる道具。
見つめれば見つめるほど、吐き気がするほどしんどい時もあるけれど、見つめた先の景色が、今より明るいのを知っているから。
どんどん、楽になる。
それは、夫婦間や、我が子との関係にも出る。
私は、まだ、変わりたい。
仲間と一緒に、生きやすくなるために。
今よりも、変わりたい人がいたら、ぜひ赤もちを知ってみてほしい。
今よりも、変わりたい人がいたら、私と一緒に学べたら、嬉しい。
そして、9月も、大阪で、赤もち講演会あります。
興味ある方は
ぜひ☺️