先日、
母さんがどんなに僕を嫌いでも
とゆう映画を見てきました。
まず、私は、虐待であったり、親子間が描かれている映画は、基本的に見ません。
なぜなら、しんどくなるから。
なぜ、しんどいのか、は、今まではわからなかったし、考えるのも嫌だったので、考えないようにもしてました。
ここ1年、ずっと自分自身を見つめ、怒りや悲しみ、よろこび、などの感情を、しっかり見つめています。
見つめはじめると、なんと苦しいことか。
私は幼少期から、特に悲しいや、寂しい、怖いといった感情を、もう一人のわたしに押し付けてきたのですが、ここにきて、私自身が、もう一人のわたしに押し付けずに、きちんと感じるようにしています。
すると、嬉しいとゆう感情が、今までと違ってきました。
悲しみを押し付けていたら、嬉しさまで感じれなくなっていたようで。
今、どちらの感情も、一生懸命、感じる努力をしています。
そんな状態で、この映画を見るのか。
大丈夫か、私。
全てを受け入れてくれている友人に、いつ見るかを報告し、何かあったら助けてもらえるようにし、準備万端で映画へ。
普段は、閉めている心のドアを、カチリと開けて、映画へ。
映画始まり、すぐ涙。
ずっと涙、途中、号泣(声はころしてます)
その後、涙止まり、すぐ、また涙。
主人公が母に対してしている事を見て、、、
私がしたいのはそれじゃない
私は、それを母にしてもらいたいの!
私が、お母さんにそうしてほしいの!!!
強く強く、そう感じました。
映画を見てるはずなのに、意識は、自分と、母親へ。
悲しみ担当させていた、もう一人のわたしが、私の中で叫んでました。
映画終わり、すぐ車へ。
声を出して泣きました。
ウエーン!ウエーン!って。
うわー!とも叫びました。
途中、また、もう一人のわたしに、任せようとなったけど、ぐっとこらえ、しっかり泣きました。
そして、私は、わたしに、大丈夫よ、泣いていいよ、大丈夫よ、私がついてる、私はわたしを愛してる、ここにいていいよ、大丈夫、と、一生懸命、私をサスサスしました。
そしたら、
今の70歳越えた母に、何かをしてもらいたいんじゃない。
昔の40代のお母さんに、してもらいたいだけなんだ
って、わかったんです。
そしたら、40代のお母さんには、もう会えないし、不可能じゃんって。
そっか、じゃあ、わたしに何かしてあげるのは、私なんだって。なんか納得。
母に、私は寂しかったんだ!とか言って、母を苦しめたいんじゃない。
何も言わずに、母は今のままの母でいてもらおうって、思えた。
むかーし、なんか占い的なもので、
親を許しなさいって言われた。
許したくても方法がわからなかった。
頭で、いくら許そうと思っても、心は、そう感じてくれなかった。
そもそも、体罰が激しかったわけじゃないし、許すとか意味わからんしって思ってた。
が、この映画を見て、、、
許すって、、、
これか。
って、しっくり。
映画見た後、頭痛がすごくて、ものすごく辛くて辛くて。
私は、もう一人のわたしに、こんな辛いことばかりを任せていたのかって、体感した感じ。
ほんと、今までごめんね!!って、わたしに言う。
もう、任せたりしないから!
とも思えたし、言えた。
映画では、主人公が体罰もされるけど、体罰だけじゃない、どんな形であれ、子が愛を感じれなかったら、それは、子が、生きていくのが難しくなったり、生きにくくなるんだって思います。
叩かなかったらいいのか、、、
そうじゃない。
私は体罰受けてないけど、こんな事になってるし。
コミュニケーション、とてもとても大事。
映画中のセリフでもあるが、
親とか子とか、関係ない、気づいた方からやるんだ。
って。
私の場合、気づいたのは私。
そして、この歳にして、やっと、やっと、楽になりはじめてる