前回までで、私は親に、何も話さなくなった。
口をきかなくなったとゆう意味でなく、私が本当にしてほしい事や、聞いてもらいたい話をしなくなったとゆう意味。

母に対して、暴君のように振る舞い、自分の思う正義のみをふりかざし、
ある日、母に、
産まなきゃ良かった
と言われる。

幼少期から、怖いとゆう感情を、もう一人の私に任せ、感じる事を止めていたはずなのに、この言葉には、大きなショックを受けた。
心のどこかで、愛されているはずだと感じていたのだろう。
その時の私には自覚はないが。
この頃には、赤ちゃんがどうやってできるのか、とゆうセックスのことも知っていたし、兄たちは、年子で、私は9つ離れている為、間違ってできた子とゆうのも思っていたので、更に、私は、わたしが存在しても、していなくても良い存在なのだと、上塗りするには、十分な言葉だった。

そんな言い合いが、終わったあと、我が家では、時間のみで解決していく。
話し合ったり、愛してるや、大好きよ、などとゆうキラキラした言葉は、我が家では、出てこない。
日常生活に、何もなかったように戻っていく。
その言葉は、そのまま私の中へ、奥へ奥へ、入っていく。

私は、お母さんが大好きでたまらなくて、お母さんにも、私をそう感じてほしい、そんな感情を、
お母さんが、こうしてくれない、愛してくれない、そう怒りに変換し、表現する。
そうすると、私は傷つかなくてすむから。
そうしないと、悲しすぎて生きていられなかったのだろうと思う。
死ぬとゆう勇気さえなかった。

お父さんにも、もちろん、話さない。
兄にも、そこに居ないし、そもそも、話をしない。
友人には言うが、怒りに変換したもののみ話す。
そうしているうちに、変換前の感情は、自分ですら見えなくなり、自覚すらなかった。

このあたりから、私は、身体さえ大事にするとゆう事が、わからなくなる。
ここに居ても居なくてもいい存在なのならば、身体って、なんなんだ、、、みたいな。
ただの入れ物にすぎず、なんとも不思議な感覚でいたなぁと思う。

ちなみに、母は、その言葉を言った事は覚えていない。
大人になり、話をした事があるのだが、逆に、言ってないわ!!と逆ギレされた、、、
大人になってさえも、母は、私の話を聞いてくれない。
自分が悪かった的な話は特に。
これは、また別の話だが、言った本人は、覚えていない。とゆう事を書く必要があると感じたので、書いた。

話は、戻り、
そんな感覚のまま、私は恋愛経験をしていくことになる。
それは、また次に。

つづく。

何度も何度も書きますが、母や父のせいで私がこうなった、と言いたいのではない。
全ては、私が自ら選んだ行動や感情なのだとゆう事だということを、忘れないでいただきたい。