お盆なので、少しばかり不可思議な出来事の話をしましょう。


これは私が実際に体験した、ある留学生の失踪にまつわる話です。

2010年以降、私は京都大学の東南アジア地域研究所に籍を置き、研究の傍ら、

保津川遊船の仕事にも関わっていました。

海外からのお客様が増えるにつれ、語学堪能なスタッフが必要となり、研究所の教授の紹介で、
一人の大学院生を案内係として雇うことになりました。それが、Aさんでした。
 

Aさんは、まさに非の打ちどころのない人物でした。
4か国語を巧みに操り、常に物腰は柔らかく、それでいて驚くほど気が利く。
その誠実な仕事ぶりは、すぐに私たちにとって不可欠な存在となりました。

勤務の合間に交わす会話のなかで、Aさんは時折、母国の話をしてくれました。
彼の国は著しい経済発展の只中にありましたが、その光の裏に広がる深い闇についても、

彼は冷静な視点で語ってくれました。
硬直した教育、隣国への抑圧、そして人権という概念が軽んじられる現実。
その瞳には、自らの祖国に対する深い絶望と、悲しみの色が浮かんでいました。
 

「大学を出たら帰国し、国家のために尽くせ」
 

それが両親の願いでした。

しかし、その体制に加わることを彼は頑なに拒絶していました。

裕福な家庭の子だったので、その支援で他国へ留学した後、両親には他の国で研究を続けると偽り、
たった一人、すべてを秘密にして日本へやってきました。

京都大学大学院への進学も、このアルバイトも、すべてが緻密な計画の上に成り立つ、隠密行動でした。

 

彼の夢は、京大で教育学を修め、発展途上国で障害を持つ子どもたちを支援すること。

それは、抑圧された母国から逃れるための、切実な願いのようにも聞こえました。

しかし、Aさんは常に何かに怯えていました。「親戚が私の居場所を探しているんです」と。
「おそらく日本に入国したことは、すぐにわかると思います」彼は言いました。
「見つかれば、強制的に国へ連れ戻される。だから、絶対に見つかるわけにはいかない」。
その言葉は、単なる不安ではなく、現実的な恐怖を感じました。

 

そして、その日は突然やってきました。

Aさんが、何の連絡もなく職場に姿を見せなかったのです。

遅刻すら一度もなかった彼に限って、無断欠勤などありえないことでした。
すぐに電話をかけ、メールを送りました。
しかし、呼び出し音は虚しく響くだけで、メールが返ってくることもありませんでした。

以後、Aさんとの連絡は完全に途絶えました。
 

彼の身元保証人である指導教官に連絡を取りましたが、事態は同じでした。
下宿先にも彼の姿はなく、行方は杳として知れない。
教官もまた、彼が抱える複雑な事情を案じていました。

捜索が行き詰まり、不穏な沈黙だけが流れていたある日のこと。
同じ職場で働いていた別の留学生が、ぽつりとこう漏らしたのです。

「Aさん、もしかしたら…私たちに教えてくれた名前、本当は異性の名前なんですよね。」

その言葉に衝撃を受け、再び指導教官を訪ねました。すると教官は、重い口を開き、すべてを肯定したのです。

「入学時、彼から名前のことで相談を受けました」。Aさんは、自らの存在を抹消するために、
性別すら偽って大学に登録していたのです。
 

国という巨大なシステムから逃れるため、そこまでしなければならなかった彼の孤独と恐怖は、
私たちの想像を絶するものでした。

 

あれから歳月が流れましたが、Aさんからの連絡は二度とありません。
彼は今、どこで何をしているのでしょうか。
あの怯えていた瞳の先にあった「追っ手」は、ついに彼を見つけ出してしまったのでしょうか。
 

時折、ふと思うのです。あの雑踏のなかから、ひょっこりと彼が姿を現し、
「あの時は挨拶もできず、すみませんでした」と、はにかんだ笑顔で立っているのではないかと。
 

しかし、それもまた、お盆の夜に見る、はかない幻なのかもしれません。
 

突然消えた、一人の留学生の物語。

信じるか、信じないかは、あなた次第です。