角倉了以の「互恵的交易」理念の本質とは。
角倉了以は、江戸初期に水運・貿易の改革者として活躍しますが、了以が展開した海外交易の理念は、
単なる商圏取引の拡大だけではなく、相互利益・文化的共存・社会的安定をもたらす交易の実践にありました。
それは「一方的収奪」ではなく「双方向の繁栄」を目指す交易構造をつくることであり、
当時世界を席巻していた西欧列強の植民地主義的・搾取的貿易とは一線を画する経営戦略でした。
了以の安南(ベトナム)や東アジア諸国との貿易では、現地の文化・宗教・生活習慣を尊重したうえで、
必要とされる物資を届け、また日本に必要な品を誠実に仕入れ輸入するという、フェアな取引関係を築きました。
安南との朱印船貿易においては、日本産の銀・刀剣・漆器などを輸出し、
反対に絹や香料、医学書、宗教・技術文献などを輸入しました。
これは経済的利益と文化的共鳴の両立を目指した交易を通じて、お互いが共栄できるモデルだったのです。
そして交易の利益を社会に還元する新規事業として河川舟運の開発に投資していきます。
私利のために富を築くだけではなく、得た利益を公共インフラ(保津川・高瀬川、富士川、木津川、天竜川の川開削工事、
舟運整備)に投資することで、新たな流通航路を開き、地域経済の循環システムを構築したのです。
このモデルは近世日本にあっては、画期的であり、現代の時代にも通じる先進的なビジネスモデルです。
海外の互恵貿易で得た富を、社会貢献にもつながる公益事業へと投資する。
その利益を国(幕府)地域と分け合い、持続可能な事業運営を実践したのです。
民間資本による「互恵=公私一体の共栄」という相互主義に基づいた経営哲学を実践した実業家が、
近世の日本に出現していたことは 資本主義形成史上、極めて先駆的かつ特筆すべき事実であり、
この歴史的事実と現代的意義の価値について、あらためて重要であると強調したいのです。