「角倉了以の相互主義経営哲学の歴史的価値と現代的意義~」
江戸初期、激動の社会構造変革期にあって、角倉了以はただの商人では持ちえないスケールの大きな構想力と、
公益という先見性を兼ね備え、国家や地域の課題に対して民間の立場から果敢に挑んだイノベーターでした。
東アジアとの交易の利益を自らで取り込むだけでなく、公共の利益へと波及させる
思想と行動を持ち合わせていました。
その基盤にあったのは、戦国という戦乱の世から平和へと移り変わる時代を背景とした
「平和的・互恵的交易」と「インフラ投資による社会貢献」という、民間主導の共創モデルでした。
了以は、京都から大坂、そして瀬戸内を結ぶ水運ルートを次々と開削し、
経済流通を飛躍的に発展させたのでした。
了以が真に先進的だったのは、川というインフラ整備を公的資本に頼らず、
私財を投じて成し遂げ、流域の住民と経済の利益を共有する「公益的投資」として実行した点にあります。
さらに了以の子・素庵は、父の意思を継ぎ、貿易事業と公共事業とその技術発展と学術・教育支援において
社会的責任を果たしていたのです。
この姿勢は、現代の言葉でいえば、CSR(企業の社会的責任)やPFI(民間資本による公共インフラ整備)、
さらにはサステナブル経済圏形成の先駆けであり、特に注目すべきは、
了以の海外進出のスタイルが、軍事的征服や独占による植民地的経済支配ではなく、
相手国(東南アジア)との互恵・共存の関係を尊重しつつ進められた点であります。
これは当時の世界が進めた近世の時代、とりわけ大航海時代の中にあっては極めて特異であり、
「平和」の基盤を成す「互恵性・相互主義」の精神として見直す必要を感じています。
この精神こそ、日本経営理念・思想の源流であり、現代の経営を考える上で
強く求められる価値であり意義があると強く感じているのです。