「古代の丹波の地は、とても関心を持っていました」

とノンフィクシ作家で歴史系YouTuberの茂木誠さんは仰います。

当初、大和政権が完全に支配下に置くことができたのは大和地域周辺だった思います。

 

特に東北地域には「日高見国」がありましたし、九州や東海以東はそれぞれの首長が

治めていたのですから、全国を一つにまとめきれてませんでした。

 

そこで崇神天皇(第10代)は、皇族の指揮官として

四道将軍を北陸、東海、西道(中国)、丹波(丹波国・丹後国・但馬国)に派遣し、

全国平定を図ったのでした。

 

さて、それほどまでして支配したかった近郊地の丹波。

 

この地域の勢力がどれほどのものだったかのか?

しかも「丹波」の中心・国府が置かれたは「亀岡」にあり

丹波亀岡に住まいする者として、とても興味深いはなしです!

 

茂木誠さんが、どのように「古代丹波国に切り込まれるか?」

とても楽しみにしております!

 

「丹波亀岡から日本を取り戻す!」