衣笠山の山すそを嵯峨へ向かい伸びる道を「きぬかけのみち」と呼んでいます。

 

この道沿いには金閣寺や竜安寺、仁和寺、福王子、鳴滝、広沢の池など

京都でも知られる観光地が多く点在する歴史あるストリートなのです。

 

その衣笠山の裾にある臨済宗の古刹が「竜安寺」です。

 

竜安寺は今から575年前の室町時代中期(1450)に室町幕府の管領・細川勝元が建立した菩提寺です。

 

もともとは平安時代末期に左大臣藤原実能の山荘で、持仏寺を建立したことで「徳大寺」と号し、

公家徳大寺家が所有していた土地を勝元が譲り受けたものです。
 

この竜安寺を有名にしたのは哲学の庭といわれる「方丈庭園」です。

方丈庭園は白砂の上に15個の据石を東から西へ、七・五・三の石組がある一見、簡素な庭に

見えますが、石組は絶妙のバランスで隙のなく庭全体に配置されており、わずかに石組の周りを

苔がはるだけの庭は、白砂を海面または雲と見立て、観る者の心の向きにより、石組が島や山にも

見ることができ、思考する「生き物」人間を知り尽くした天才的な人物が造った庭であることは間違いないでしょう。
しかし未だにこの方丈庭園を造った人物はわかっていない謎深き庭でもあります。

 

この庭園は、特定の場所以外では、15個の石組を一度に目にすることができない配置となっている

ことから「足りることを知る」という禅の教えを表したものといわれ、京都の庭園によくみられる

自然の樹木を造形する庭ではなく、抽象の美を感じ、時間と空間を越えて、石と対話し静かに心眼を

開く「哲学の庭」として、禅僧の修行の場として「悟り」へと導く効力があると季節を問わず

大勢の観光客が国内外から訪れる京都有数の観光地でもあります。

 

私にとって「竜安寺」と聞いいて思い浮かぶのは、中学生の頃のトレーニング場です。

 

竜安寺の裏山にあった石畳の坂道は登るだけでもキツイ傾斜で、そこを何十本もダッシュして

上る練習の辛さは今でもカラダが覚えているほど。

竜安寺を思う時、静かに自我と向き合うという印象は全くなく、

私にとっては激しく自分自身の限界に挑んでいた若き日を思い出します。

 

青春の熱き魂を燃やし、まさに動く禅のごとく、心身を鍛え上げた日々。
 

私にとっての「竜安寺」なのです。

放課後のクラブ活動のトレーニング場で、