京都市北区衣笠に生まれ育った私にとって、わら天神こと敷地神社は、

幼い頃から親しみ深い場所です

 

我が家に帰宅する時は、西大路通り沿いにある

京都市バス「わら天神前」という停留所で

降りるのが決まりです。

その西大路通りを北西に数十メートル歩けば、

石の鳥居が印象的なわら天神の参道が現れます。

 

わら天神こと敷地神社は、安産の神様として

古くから多くの参拝者を集めています。

その歴史は600年前に遡り、菅生石部神の御母・木花開耶姫命と、

古くから土地の人々に信仰されていた北山の神を祀っています。

応永4年、足利三代将軍足利義満が西園寺北山殿(後の金閣寺)を造営する際、

参拝に不便となったことから、両社を合祀して現在地に移転したのが由来です。

「わら天神」は安産の神様としても有名で、安産御守に「わら」拝し
そのわらに節があれば男児、節がなければ女児誕生との
古くより伝わるめずらしい信仰が人々の人気をあつめ、
安産御守・御腹帯の授与、妊娠九ヶ月九日の日には、

授乳祈祷の「あま酒」などを授けていただけます。


また赤ちゃんのすこやかな成長を願っての初宮詣や満一才の
誕生日をむかえた初誕生祭の参拝者も多く、
京の町衆に厚い信仰を集めています。

 

毎年4月には例祭が執り行われ、神輿渡御や武者行列が町内を練り歩きます。

神聖な弓撃ちの儀式が境内で行われると、華やかな神輿渡御や

武者行列が衣笠地区全域を練り歩きます。

北は立命館大学から氷室~金閣寺の街道前、

南は桜の名所・平野神社周辺まで広範囲に渡る行列は、

沿道の人々を魅了します。

 

私も大学生の頃、町内会から推薦され
この祭りの儀式に出たことがあります。

神事の要・弓人に選ばれ、約25m先にある的を
弓矢で射抜きました。
それまで弓道の経験は皆無であったため、

儀式出る1週間前から神社に寄せて頂き、猛特訓をしたのを覚えています。
手袋はしてましたが、右手の親指と人差し指の皮が

捲れるほど厳しい特訓でしたが、その甲斐があり、
儀式の本番では、大勢の祭関係者や観光客・見物人が見守るなか、
緊張しながら弓を射き、見事に的に命中させることができました。

この体験は生涯忘れることのない思い出です。

当日には西大路通り沿い神社の参道にも、
露店がたくさん並び、子供心に楽しみにしていた

祭だったことを覚えています。

本社以外にも、伊勢、石清水、賀茂、松尾、稲荷、春日の六柱神

をお祀りしています。
樹齢千数百年に及ぶ神木綾杉の霊を祀る「綾杉明神」は
明治29(1896)年8月の暴風により倒壊しましたが、

残った幹に素屋根をかけ、神木として今も崇敬を集めています。

平安の時代から子供を授かり、健康に育てたいと願う親の祈りが

支えてきた魅力ある神社なのです。

所在地・京都市北区衣笠天神森町