旧約聖書「創世記」によると古代メソポタミアのバビロニア人は、

中心地都市のバビロンに天にもとどくような巨大な塔「バベルの塔」を建設し、

神の権威に挑んだといいます。

しかし、慢心した人間に神は怒り、言語をバラバラにし、塔は崩壊してしまいました。

13年前、東北地方を中心に甚大な被害を及ぼした「東日本大震災」起こりました。

観測史上類のない世界最大級のマグニチュード9.0を記録した

地震は大津波を発生させ、原子力やインフラなど、世界最先端に高度化した我が国の近代科学文明を、

あざ笑うかのように‘襲いかかり、東北太平洋岸各地ののどかな港町を飲み込み、

かけがえなのない多くの‘いのち’と街並みを奪い去りました。

 

まるで自然に挑む「バベルの塔」を今に見る思いがしたのを覚えています。

 

太古の昔から今日まで、人類は長い歴史を費やし、英知を結集して文明を発展させ「豊かさ」を追求してきました。

しかし、自然の力の前では、現代人も古代人の頃と何ら変わらない現実を知られました。

荒ぶる自然を前にしては人は、なすすべもなく、無力であり、祈ることしかできない存在であると、

あらためて思い知らされました。

 

人の限らず、いのちあるものすべては、今も昔も変わることなくこの大地に住まわせて貰っているだけであり、

生きることを許されている存在であることを。

そして追求してやまない「豊かさ」とは、自然から与えられていることだけであることも。

この世界で起こる戦争や紛争も、自然のめぐみの奪い合いであり、所有の権利のはく奪戦ともいえます。

でも、それは自然界が承認したものではなはずです。

あらゆるものが、実は自然の「所有物」であり、我々人間は、ただ借りているだけ、

つまり「レンタル」しているだけに過ぎないのだと感じます。

 

人間が生きるために必要なものは、すべて自然から無償で貸し与えられた恵みです。

ひとたび自然から「返してもらう」と言われれば、無条件で返還しなくてはなりません。

人はそんな弱い存在だからこそ、お互い謙虚に力を合わせて、

たすけ合わなくては生きていけないのではないでしょうか。

 

本当に大切なのことは、いのちが生かされている存在であって、すべてがつながっていくること。

 

原子の力すら自由にできる知恵と技術を得たと知性を、物質的繁栄という‘芝居’に留めるのではなく、

自然の中で生かされている「いのち」には終焉はなく、永遠につながっているという「愛おしさ」、

これからの世界に生きる人類にとって大切な価値観だと思えてならないのです。

 

近代科学文明は、人類がお互いをが尊厳のもと、支え助け合い、与えあう世の中になれるとしたら、

我々人類は、自然の前には無力な存在であるはが、古代人にはない文明の進歩とともに発展した

‘心’の進歩が築けるはず。

そして、心に築き上げた金字塔と‘バベルの塔’のように、けして崩れることはないと考えるのです。