今年も3月10日がやってまいりました。
保津川下りでは3月10日を毎年「春の川が開かれる・保津舟の日」として
今年の安全運航を祈る神事「保津川下り安全運航祈願祭」を執り行っています。
例年なら祈願祭の後、様々な催しを御用意して、おもてなしをしているのですが、
昨年の事故を受け、今年は安全運航に全集中する、決意の日とする思いからイベント等はせず、
神事のみを執り行いました。
今年は年明け早々に河川の渇水に見舞われ約1か月を超える運休を余儀なくされ、
また、雨風強い悪天候の日が多いなど、まさに「荒ぶる自然」の前に
なすなすべなく日々を過ごしました。
幾ら科学文明が進歩しても、人間は自然の力の前には無力です。
「川の神様」「山の神様」にただ祈りを捧げるしかありません。
人間も自然の一部で、自然の大いなる懐の中で、生かされている存在であることを実感します。
私たち人間の体は約60兆個の細胞でできていて、その細胞一個一個の中に核があり、
その核の中に染色体があります。その染色体をほどいてみると、二重のらせん状DNAと呼ばれる
4つの塩基文字(A・T・C・G)からなるおよそ30億の膨大な遺伝子暗号が羅列していることは、
生物の時間に習った記憶をあります。
この塩基文字の総数をヒトゲノムと呼び、そのうちタンパク質をつくる文字情報の部分を「遺伝子」と呼んでいます。
でも遺伝子と呼ばれるものはDNAの中では全情報のせいぜい2%程度でしかないといいます。
では、その他の大部分については、今の科学ではまだ何もわかってはいません。
遺伝子暗号は人間の体をつくり成長へと導く設計図であり、とても精巧にして緻密であり,
膨大な情報が書き込まれているからこそ、私達は「人間」になれるのですね。
では、このような精巧して緻密で正確な遺伝子情報は「誰(何者)が書き込んだ」のでしょうか。
設計図は設計者たる者がいるからこそ書き描くことができるはずです。
そう考えると、私たち人間をつくるために何者かが、設計し書いたとしか思えません。
それを「自然」と呼ぼうが「神仏」と呼ぼうが名称はあまり意味がなく、
この世界を、この大地を、この地球を描き、その一部となる生物として人間が生み出されたとしたら・・・
おそらく、その答えは現代科学がいくら進歩しても、辿り着けない領域だと思います。
そんな真実でありながらロマンに溢れる「自然と人間」の関係性へと思いを馳せながら、
今年の安全祈願への祈りを捧げ、手を合わせたのでした。