国際日本文化研究センターの角倉研究プロジェクトでご一緒していた若松正志京都産業大学教授の研究によると、

近世の角倉了以と素庵を記した資料には保津川・高瀬川の開削を中心に記載されているが、そ

れほど多いわけでもなく、朱印船貿易に至っては「鎖国」という状況下の影響からか

詳しく記された資料は見られないそうです。

ただ、近代の明治時代に入ると、河川開削の土木事業を中心に「公益」という要素が加わり、
学校教育の教科書に登場するようになり「およそ学問・芸術に志す人は、

常に公益を広め世務を開くことを勤しべきなり」として了以の業績をあげています。
 

さらに昭和時代へ入ると、海外進出・朱印船貿易がクローズアップされ出し

「まことに角倉了以は、我が海外発展の先達であり、恩人であり、そして海の英雄でありました」と

了以の海外進出と雄飛を讃える記述が多くなり、河川開削土木事業の割合を超えるくらいに登場するそうです。
 

角倉了以と素庵に功績は、その時代背景を反映する姿として紹介されてきたようです。

今から20年前、亀岡市で「保津川開削400周年記念事業」が年間事業として開催されました。
その機に、我々保津川下りも事業者として初めて本格的に「角倉了以と素庵」の恩恵への顕彰を行いました。
 

その記念事業から生まれたのが今、亀岡市が環境先進都市へと向かうきっかけとなる活動団体「NPO法人プロジェクト保津川」
でした。初代代表には同記念事業の実行委員長をされていた坂本信雄京都先端科学大学名誉教授が務めて下さいました。

そして2年後には了以と素庵が保津川を開削し、保津川下りを誕生させて「420年」の節目を迎えます。

混乱と迷走を繰り返す国際社会を背景に「共生と協調・平和への希求」に焦点を当て、
了以と素庵が実践した互恵・平和的交易「朱印船貿易」からひも解く「調和のある世界観」を提言していきたい、

と考えています。
 

了以と素庵の行った事業の数々は、その時代背景も含めて、全時代を通じて共通する価値観であると考えています。
 

2年後に来る「大堰川(保津川)開削420年顕彰事業」では、角倉了以と素庵が示した

「価値観」を世界へ問いかける発信を様々な手法で行いたいと思います。
 

そのアイデアも含め、ぜひ、皆様のご協力をお願いしたく存じます