先日、僅か10年ほどで事業拡大に成功した友人と祇園で飲んだ時、
「でも、このご時世で、よくこれだけの企業をつくったな~ビジネスの成功要素は何が決めてだったの?」
とその秘訣を聞き出そうとしたのですが、彼は「運がよかっただけ。ただツイていたんだ」とだけ言って笑うだけ。
「はっ?、それだけやないでしょう?」と突っ込んだが
「当たり前のことを頑張ってたら、本当に運が味方しただけ。
しいていえば『自分は運がいいから、どんな時も何とかなるとは思っていたし、
事業を支えて下さる人たちに感謝の気持ちを忘れないことを命じていたかな?」
と付け加えていました。
「運か~」少し考えさせらました。
「運」って科学でその存在を解明できるものでもないのに、
古今東西、誰もが口にはしないが「確かに『運』というものは存在する」と
「心の奥」で漠然と信じているものですね。
幸運だと「運気が舞い込んできた!」と感じるし、
不運続きだと何か「運が離れている」ような気がするものです。
以前、こんな話をある大学の先生から聞いたことがあるを思い出しました。
それはある経営学の先生が日本経済新聞の人気コラム「私の履歴書」で、
歴代投稿されている、所謂「人生の成功者」の文章に中で多く用いられた「ワード」を
徹底的に拾い集めたところ「先見の明」や「私の努力と知性」「戦略思考」などという
自らの主体的な思考や行動ではなく
「たまたま」とか「運のいいことに」とか「ふとしたきっかけで」「偶然にも」
という他力的なワードが上位であり、そのワードはすべての投稿者の文章に入っていたというのです。
そういえば経営の神様といわれ一代で「松下電器工業」今の「Panasonic」を
創業した松下幸之助翁は社員雇用の面接時に必ず「君は運がいいか?」と必ず問うたと聞きます。
そして「成功は自分の努力ではなく、運のおかげで」と常に話されていたそうです。
「運」恐るべし!
「幸運」と「不運」どうして、運は舞い込み、運は離れていくのか?
ある聖者は「金銭や財産は移ろいやすいものだが、運が舞い込むと誰もそれを引き離すことはできない。」と説いてますし、
ある成功者は「運は汚いことや卑怯なことを徹底的に嫌うし、損得勘定は運を呼び込まないからね」と。
また「運は正面から来ない。必ず後ろから来る」と運気が舞い込む「法則」も語っています。
眼には見えない、形あるものではないですが、感性を研ぎ澄まし、
しっかり観察すれば「確かに存在」するものが「運」で、何ともスピリチュアルです。
ややもすると「己の力」を過信し、他者への感謝の心を忘れがちになるのがニンゲンです。
自らの戒めと今後の楽しみも含め、スピリチュアルな存在「運」を
これからも意識して生きていきたい思う今日この頃です。