《直指庵》
嵯峨大覚寺の北側約500m進んだ竹藪に覆われた北嵯峨細谷にある単立のお寺・直指庵は
祥鳳山と号し、もとは臨済宗を学んだ独照性円(どくしょうしょうえん)が
正保三年(1646)に庵を結んだことで直指庵と呼ばれています。
その後、独照が中国の明の僧・隠元に黄檗禅を学び広めると、
帰依者が増え、伽藍を建立する大寺院になったのです。
今も直指庵に残る大きな庭石や石灯籠が、当時の隆盛を偲ばせてくれます。
その後、独照の死後、弟子が他所へ移住するなど、寺は衰え、墓堂を残すのみとなっていました。
幕末の頃、近衛家の老女・津崎村岡が、当庵を浄土宗の寺院として再建し、
土地の子女の教育所的な機能を果たすことに。
明治12年(1879)に賊に焼かれる災難にあいますが、地元の有志によって今の直指庵を再建しました。
周囲の竹藪は心の癒しを与えてくれると評判になり、悩める女性の駆け込み寺としても知られ、
「想い出草」という大学ノートに訪れた女性たちが、心境を書き込んで話題に。
今では、座禅や写経、瞑想の道場として、奥嵯峨の当庵を訪れてる人は多いのです。
紅葉と竹藪のコントラストのなか、静かな時の流れを感じて
自らの心と対話してみてはいかがでしょうか?