《八瀬》

比叡山山麓の小集落・八瀬は、福井県小浜と京都を結ぶ

R367の古道・若狭街道(鯖街道でも有名)沿いに点在し、
眼下に清流・高野川が流れる静かな里です。

 

古来、里人は天皇さんの乗り物である鳳輦(ほうれん)を担ぐ、

駕興丁(かごちょう)という役目を与えられていた皇室ゆかりの地です。


八瀬という地名の由来は里を流れる高野川が、この辺りで早い瀬が多くなることから

八つの瀬「八瀬」となった説が有力ですが、弘文天皇(672年)の壬申の乱の際に、
大海人皇子が背中に矢を受け負傷された際、この地に窯(かま)風呂を作り、傷を癒したことから
「矢瀬」にかけて「癒背」と呼び、転じて「八瀬」と呼ばれるようになったという伝承もあります。

里人達は「八瀬童子」と呼ばれ、比叡山諸寺雑役を生業としていましたが、
1336年の足利尊氏の西上の際に、比叡山に難を逃れて逃げる後醍醐天皇を、
弓矢をとって守ったことで、皇室の深い繋がりが生まれ、以来、平生寝るときも、
常に枕下にわらじと提灯を置き、都に急変があれば、
すぐに禁裏馳せ参じる準備をしていたと伝えられています。

結髪もせず、長い髪を垂らした風貌で、草履をはいた
子供のような姿であったため童子と呼ばれました。
平成元年の昭和天皇葬送の際、その棺を運ぶ皇宮警察官
八瀬童子古式装束を纏い従事していたのをご覧になられた方も多いと思います。

かま風呂とは、伝承をとって中世、お公家さんがこの地に風呂を作ったといわれ、
むしろの上でじわじわ体を温める日本古式型のサウナで、新陳代謝を促進し、
肌感もよく美容と健康に効果があるといわれています。

現在もかま風呂「八瀬かま風呂温泉 ふるさと」 さん保存され、

石敷きの上に石積みで造り表面は漆喰仕上げ(京都市有形民族文化財)の「「古式かま風呂」を

見ることができます。

また、バージョンアップされた「現在版八瀬かま風呂」に入浴することができます。

「京都の隠れ里」のような風情と皇室ゆかりの独特な風俗

そしてかま風呂という文化財を今に残す「八瀬」

 

力強い川辺のもみじとともに紅葉のシーズンに、身体の芯からホカホカにある

かま風呂で暖を取るのもいいですね!