《亀山公園と角倉了以像》
嵐山にある保津川下りの着船場から、すぐ左手の小倉山裾に「亀山公園」があります。
石畳の階段で登る小高い丘の亀山公園は、正式名称を「京都府立嵐山公園」といい
1910年に整備された府立公園で、園内は遊歩道により散策できて
地域住民から観光客までの憩いの場所になっています。
亀山公園という呼び名は、高台に「亀山天皇陵」に由来し、親しみを込めて通称・亀山公園と呼ばれています。
深い木々に覆われ緑の豊かな嵐山の自然が味わえる公園で、秋にはもみじが色づき、
緑と赤のコントラストが目に美しい景観を演出してくれます。
公園内には、私達「保津川下り」の生みの親・角倉了以翁の銅像が立っています。
立札には、この嵐山の地にあって眼下の大堰川(保津川)を開削した後、
洛中を流れる高瀬川を開削するなど江戸時代初期に京都の産業振興に
多大なる貢献した「京都の恩人」として建立されたとあります。
銅像横のには「大堰川開削王・角倉了以翁」と記入された石碑も立っていることを
みても、当時の京都の民衆にとって多大な潤いをもたらした事業家だったのことがわかります。
この銅像は「大悲閣千光寺」にある了以の木像とは異なり、
しっかり立ち上がり、眼下の大堰川を見下ろしています。
手には開削事業の象徴だったツルハシを握っておられます。
この了以翁の銅像は昭和63年5月28日に再建されたもので、初代の銅像は
第二次大戦時に金属供出に協力するため、取り潰されました。
鮮やかな紅葉に包まれる公園の遊歩道には、国内外から大勢の観光客が行き交います。
その賑やかな風景を見守る了以像も、こころなしか優しいまなざしで目を細められ、
ご覧になられていると感じるのです。。