《落柿舎》
のどかな田園風景の中にポツンと佇み、鄙びた藁葺屋根がなじむ素朴な草庵が落柿舎です。
詩人・松尾芭蕉が元禄4年(1691)4月18日から5月4日まで滞在し
「嵯峨日記」を著したことでも知られています。
往時の風情が感じられる、なんとも心が安らぐ庵ですが、もともとは京の富豪が建てた豪華な別荘を、
松尾芭蕉十哲の弟子の一人 向井去来が1686年に譲り受けたものです。
その後、別荘を取り潰し、簡素な隠棲所にしました。
芭蕉は三度にわたりこの庵を尋ねていますが、師である芭蕉を落柿舎に迎えるため、
去来はできる限りのおもてなしをしています。
痛みがひどい庵でしたが、時には障子を張り替え、芭蕉の寝室を改装しするなどして師を迎えたのです。
また、芭蕉とともに野沢凡兆・川井乙州・河合曾良など門人も訪れことも多く、
常に机と筆記道具一式も揃え「源氏物語」や「土佐日記」、「松葉集」なども置き揃え、
美しい器に菓子を盛り、食材や名酒も京より取り寄せ用意しました。
芭蕉終の旅となった元禄7年(1694)に訪れた時は。庵を建て直して新装することで、
師に貧賤の雑念を入れることなく創作活動をして貰おうという弟子の心情が落柿舎には漂います。
落柿舎の名の由来ですが、昔、庵の周囲を40本の柿の木が覆っていました。
ある日、ひとりの商人がその立木ごと柿を買い取ろうと約束したところ、
夜中に風が吹いて全ての実が落ちて破談になったことから「落柿舎」と名づけられたそうです。
去来は「柿主や こずえはちかき あらし山」と詠みました。
今は柿の木も少なくはなりましたが、紅葉にまじり、実る柿の木を愛でながら、
去来への思いを馳せてみるのもよし。
落柿舎の象徴的な土間の入口の荒壁にかけられた蓑(みの)と笠(かさ)は、
庵主の在宅時にはかけておき、不在時には外して、在宅の有無を知らせるためのものでした。
松尾芭蕉と向井去来の子弟の絆に触れながら、のんびりと物思いに耽るのにはもってこいの庵ですね。
2年前に放送されたNHK「グレーテルのかまど」に出演させて貰った時、
俳優の瀬戸康史さんに向井去来のお話をさせて貰ったのも、いい思い出です。