【京都異界案内 聖の里・清滝にまつわる呪術の行者】
平安以前より、愛宕山とその麓を流れる清滝川は、修験者の水垢離場であり自然道場でした。
その昔、清滝川麓に聖(ひじり)と呼ばれる修行者が呪術の技を磨いていました。
清滝川の奥も、柴の庵を構え住むひとりの聖がいました。
その聖、水がほしくなると水瓶をと飛ばして、水を汲んで飲めるという高度な術を習得していました。
ここまで術が操れるようになると「自分ほどの行者はおるまい」と段々と慢心を起こすように。
ところかがあるとき、川の上流から一つの水瓶が飛んできて、清滝川の水を汲むとすいすいと飛び帰っていくのを目撃してしまったのです。
この水瓶はその後もたびたび飛んでくるようになりました。
この水瓶を自由自在に操れる技を使えるのは自分だけだと思っていた僧は、
不審に思い上流の様子を探るために水瓶の後をつけました。
すると、五十六町(五~六㎞)川上に一つの庵があり、中には持仏堂や寝室もあるではありませんか!さらにいい香りのする清浄な気配があたりに漂っています。
隙間から除くと香の煙が満ちて、七~八十にもなっている老僧が脇息にもたれて眠っています。
聖は、この老僧を試してみようと印を結び呪文を唱えます。
たちまちその指先から火焔が噴き出し、庵を包みました。
老僧は眠ったまま杖をとり、香水に浸して四方へ降らしました。
すると庵を包んでいた火はたちどころに消え、川下の聖の衣に移って
ぼうぼうと燃え上がったのです!
途端に聖は大声をあげて狂いまわるます。
老僧はやっと目をあけてその姿を眺め、杖で香水を浸し注いでやりました。
お蔭で火はやっと消え、聖は平謝りに謝り
「拙者は清滝川で修行中の聖です。恐れいりました。拙者を弟子にして下さい。」と願い出ました。
しかし、老僧は「それは結構なことじゃな」と遠くを眺め、気にもとめぬ風です。
聖は「これは仏が術に溺れる拙者の驕慢を戒めるためにされたことだ」と自らの慢心を悔い、
反省し川下の庵へ帰っていました。
地域の人々はこの話を「傲慢と慢心」の戒めとした語り伝えたのです。
注目したいのは、当時の修験話には鉢を飛ばして食物を得た仙人の話など、
似たような逸話はたくさんありますが「水が神通力」を発揮した話は
「水の里清滝」ならではと思います。
信仰と貴さと修行の心得は言うまでもありませんが、なにより、よこしまな心が
熾した火を退ける水の験力こと清滝ならではの話だと感じた次第です。