一雨ごとに京都・嵯峨嵐山の紅葉の彩りも美しさを増して、渡月橋や竹林の径にも賑わいが戻ってきたことを嬉しく感じています。
そんな賑わいから少し離れてた奥嵯峨に「祇王寺」があります。
賑わいと喧噪が嘘のような佇まいに、紅葉が映えます。
平安の時代、平清盛の寵愛を一身に受けた「祇王」という白拍子がいました。
妹と母ともに清盛の邸宅に招かれ、それまでの貧しい暮らしは一変し、親子は幸せな日々を過ごしていました。しかし、そんな夢のような生活は長くは続きませんでした。
清盛の気持ちはいつしか若い白拍子・仏御前へと移っていきます。次第に祇王からも心は離れていきます。清盛の心変わりに気づいた祇王は、母と妹を連れて清盛のもとを去り、奥嵯峨の寂しい山里の庵に移り暮らしました。その庵の跡が祇王寺です。
しかし、人里離れてひっそり暮らすことを清盛は許さず、祇王は再び、清盛のもとに呼び寄せられます。だが、それは以前の寵愛を受けるという立場ではなく、下座での扱いを命じられたのです。祇王は老いた母親、妹の暮らしのために、涙をこらえ清盛に従ったのです。
~仏は昔は凡夫なり 我らもつひには仏なり いづれも仏性具せる身を隔つるのみこそ悲しけれ~
と,その心情を詠っています。
自ら命を絶つことも頭に過りましたが、母や妹の存在がそんな思いをとどまらせ、後に揃って出家するのでした。
男の身勝手さと権力者の横暴による、淋しくもあわれな女の物語。
この寺を訪れると様々な思いが交差し、人の心の詫び寂びが漂っています。
京都の秋の象徴的なお寺だと感じます。
祇王が舞う白拍子の姿は、毎年11月に嵐山大堰川一帯で開催される「もみじ祭」(今年は中止)に、
今様詩舞楽会の舞船で再現されています。私の子も今様船で白拍子に扮していました。