仕事がら日本全国のいろんな街に行く機会がありますが、
そんな中で、もう一度訪れたい街がいくつかあります。
山梨県富士川町もその一つです。
慶長12年(1607)に徳川家康の命を受けた角倉了以により富士川に開削工事が施され、
ここ富士川町鰍沢から静岡県岩淵まで72キロ間に舟運が開通したのです。
鰍沢には、全国から集められた物資や人が行き交い、経済はもちろん文化や風習が伝わり、
甲州の表玄関として大いに栄えました
また、約7百年前に日蓮上人が開いた身延山詣も、舟運が交通を担い、
鰍沢は宿場町としても賑わったのです。
近世から富士川舟運の開通により繁栄を極めた鰍沢でしたが、
明治44年に中央本線が開通し、物資・人の輸送が鉄道へと移り、
河川舟運で300年余り栄えた街の歴史は幕を閉じたのでした。
無人駅となっていた、鰍沢の駅に降り立った瞬間の空気感は忘れることができません。
駅前は人影少なく、お店もシャッターを下ろしたままで、
角倉了以とその子・素庵の河川開削と舟運開発により、
栄華を極めた街の面影すらない今の姿は、あまりにも衝撃でした。
しかし、賑やかな駅前では感じることができない、その寂しい風景の中に、
何か長い歴史の営みが生み出す空気と、懐かしい匂いを感じたのを覚えています。
栄枯盛衰は世の習い。とはいえ、河川舟運の終焉がもたらした街の変遷に
思いを馳せる時、今も河川舟運で生きる自らを映し、胸にこみあげるものがありました。
そっと目を閉じると、当時の賑やかだlった街の活気あふれる声が、
静かな風に乗って耳元に語り掛けてくる気がしました。
今ではない、過去からの匂い。
それも「また訪れたくなる引力」になります。
本当に大切な地域の魅力は、実は目に見えないものなのかもしれませんね。
それが本当のブランドだということも。その後、富士川町の街並みを歩くと、
当時の舟運で栄えた史跡や物語を、今も大切に街の方々が守っている姿に感動しました。
観光客の心を引き付け「もう一度、訪れたい街」とは何か。
そのヒントを富士川町の鰍沢は教えてくている様に感じました。