京都市の北区上賀茂に「深泥池」という池があります。

池と湿地で形成され、浮島もあるこの池は、

総面積は約9.2ha、周囲は約1,540mの

京都市内では比較的大きい部類に入ります。

 

「みどろがいけ」という、何やらおどろおどろしい呼び名から、

京都でも有名な「心霊スポット」として紹介されることも多い

のですが、本来の深泥池はその分野ではく、

地学・生態学的レベルにおいて、神秘的な不思議な池なのです。

 

 

この池では、毎年4月初旬になると、池の中に真っ白で

小さな花「ミツガシワ」という花が咲きます。

 

しかし、この花、本来は北海道や信州という

寒い地域に生息する花で、温暖な京都にある深泥池で

なぜ咲くのか?その謎を解くべく、

1976年に本格的な池の調査が着手されました。

 

 

池中のボーリング調査の結果、池の底に

10m近くの厚くドロドロとした泥炭が

たまっていて、さらにその中から1万年以上前の

火山灰が見つかったのです。

 

そして、その泥炭の中に底から泥表面まで。

ミツガシワの花粉の化石が存在している

ことが明らかになりました。

 

 

さらに、94年に行われた調査で、花粉化石を分析したところ、

堆積物の最下部は14万年前のリス氷河時期のものであり、

一方、深さ13m~14mの付近は、温暖地域で

生息する照葉樹の花粉も発見されました。

 

 

この調査で、ウルム氷河という最寒冷期から

現在よりも暖かった最終間氷期を挟んで

堆積されていることがわかったのです。

 

ミツガシワをはじめとする池の様々な植物は、

14万年前のリス氷河から、温かかった最終間氷河までも

生き残り、ウルム氷河という最寒冷期も生き延びたことになり、

「日本最古の池」であることが判明したのです。

 

 

断層活動により、裏山の台地の末端部が浸食したり、

土砂崩れを繰り返したことで、水流が鴨川の扇状地堆積

により堰き止められ池状に溜まり、今の形状になったそうです。

 

 

数々の歴史資料があり、6世紀の飛鳥時代には

「用水の為に造築した」とあり、

それまでの自然堤防に人工堤防が増築されました。

 

 

また平安時代には淳和天皇が「泥濘池」に

行幸して鳥網(とりあみ、とあみ)を使って

水鳥の猟を行ったという記述を菅原道真が残しています。

 

室町時代には書物には「深泥池には大蛇が棲む」

という伝奇もあり、池畔には八大竜王が祀られていました。

この頃から、深泥池のミステリー伝説は

始まったのかも知れませんね。

 

 

それはさておき、現在も深泥池には、北の植物だけでなく、

南方に分府する動植物も共存しており、

稀にみる生物多様性の宝庫を誇るまさに

「神秘と不思議・驚異の池」なのです。