8月16日の夜は京の夏の風物詩といわれる「五山の送り火」が行われる日です。

 

お盆にお帰りいただいた’お精霊’さま(おしょうらい)を

再び冥府へと見送る「盂蘭盆会」という伝統的な信仰行事の一つで、

ご先祖様が迷うことなく冥府へ戻れるようにと、

京都市内を囲む五つの山に「大文字」「船形」や「鳥居形」「妙」「法」「左大文字」

の五つの大きな文字や形を象った松明の火で浮びあがらせる、

古くから京都の庶民の間に浸透し受け継がれています。

 

 

起源は諸説あり、主に3つの説が語られています。

 

ひとつは空海説です。

平安時代に山麓の浄土寺が火事になった時、空海が峰に立ち上る炎を

「大」の字に象られた法術や沢山の松明を並べて燃やし、

飢餓や疫病を治める護摩焚き祈願をした流れだと伝承されています。

 

 

二つ目は、室町時代・足利義政説です。

如意ヶ嶽(大文字山)の裾野の銀閣寺を領地としていた

足利義政が息子・足利義尚を亡くした後に供養と御霊の為に

「大」の文字を如意ヶ嶽に炎で描かせたという説。

 

「大」の字が銀閣寺と同寺派・相国寺の方を向いている事などから

今ではこの説が有力視されているようです。

 

 

最後は江戸初期「能書家・近衛信尹」説です。

本阿弥光悦らと「寛永の三筆」と呼ばれた能書家の近衛信尹は、

寛文2(1662)に刊行された書物『案内者』の中に

「大文字は三藐院殿(近衛信尹)の筆画にてきり石をたてたり

といふ」の記述があることから、この説も有力視されています。

 

 

また、なぜ「大」の字を描いたのかは、陰陽道の五芒星(ごぼうせい)を象ったとも、

護摩壇の形を表したものなど諸説あります。

 

 

このように京都を代表する宗教行事でありながら、

その起源などが不思議と確かなことは何もわかっていないところも

「送り火」のミステリアスさ際立たせます。

 

でも、長らく途絶えることなく継承されたところに京都の庶民の信仰心の深さを感じます。

 

 

私の育った京都市北区の衣笠も、金閣寺裏の大北山に

「左大文字」の行事があり毎年、地区町内でしっかり守っておられました。

 

文字を描く松明の炎がくっきりと見え、お精霊さまが冥府へ上がって行かれる姿を

イメージしながら眺めていました。

 

長い京都の歴史の中、幾多の苦難な時代にも途絶えることなく

継承された民衆の‘祈りの火’「五山の送り火」

これは平安京の時代から受け継がれてきた「御霊」や「異界」を信じてきた、

多くの人々の祈りと願いが込められた、消えることのない心の中の灯だと思えるのです。

 

ご先祖さまの魂が現世にお戻りになる「お盆」シーズンということで、

続けてきたこのシリーズもこれで最終回となります。

 

1000年という世界史の中でも類を見ない長期の都であった「京都」

長い歴史を綴ってきた過程で、様々な争いや陰謀、悲劇などの人間模様が展開し、

為政者たちは自らの罪の意識に苛まれ、反省し、心安らげるためにたくさんの

社寺仏閣を建立し、時には「霊的防御システム」といえる結界を

張り巡らせ安寧を求めてきました。

 

 

その痕跡は地域の伝承となり伝わり、日本文化の中心地で

「雅やかな京都」とはまた違う「異界」という不思議な物語を生み出してきました。

まさに「もうひとつの京都」の姿であり、京都の人々の心の風景を見ることができます。

 

まだまだ、紹介できていない「異界」が、京都にはいっぱいあります。

 

また、私個人も、この京都の地で「異界」と呼ぶしかないような出来事、

エピソードが幾つもあります。

 

 

ミステリーチェイサーの探求はこれからも続きます。