安倍清明は、延喜21年(921年)に摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれたと伝わります(諸説あり)
陰陽師の大家・賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されました。
近年では夢枕獏さんの小説で一躍人気に火がついたので有名です。
晴明が陰陽師として知られるようになったのは、意外に遅く40歳頃。
52歳の時に天文学博士を拝命し、師匠である賀茂保憲が引退すると
「中務省陰陽寮」のトップに君臨しました。
あの藤原道長の日記にも晴明の活躍ぶりが記録され残されているなど、
当時の天皇や公家集から絶大な支持を得ていたのです。
日記には(寛弘元年(1004)の夏、深刻な干ばつが続く中、
清明の雨ごい祭祀で急に雨が降り出したことや一条天皇の急病を
治したことなどが記されており、清明の術を称賛し褒美を取らせています。
その晴明が活躍した平安時代の屋敷跡に建っているのが
京都市上京区堀川通一条上ルにある「晴明神社」です。
《ここからは私と晴明神社の関わりの話⦆最近では有名観光神社となり
堀川通の商店街も‘「晴明神社参道商店街」’と名乗られるほどですが、
こんなに有名になる前から京都(特に西陣地域)の町衆の間では
「名付け親・姓名判断占い」として、親しみをこめて「せいめいさん」と呼ぶ身近な神社でした。
神社では毎日、神主さんが占いによる人生相談を開いておられましたが、
「よく当たる!」という近所の評判も抜群でした。初めて晴明神社を訪れ
、神主さんに占って貰った時のことは今も忘れられません。
今から30年も前のことです。神主さんの前へ座り、目を見た瞬間でした。
その鋭い眼孔に見据えられ背筋に痺れが走った様な衝撃を感じたのです。
神主さんは暫くじっ~と私を見据えると、相談した内容について的確かつ具体的に話されたのです!
そして、その結果も・・・見事に的中していたのです。
占い師や祈祷など眉唾ものが多いと今でも思っている私ですが、
晴明さんの神主さんの霊感力は本物だと感じています。
それからは人生の節目と感じる時には足を運んでいました。
また私の友人にも人生で最も大事な決断をする参考にと、
晴明さんを紹介したのですが、神主さんの占術のお陰で、
危うく選択を間違うとことを免れたのです。晴明神社の神主さんは、
まさに私がミステリーに興味を持つに至る過程で、
大きな影響を受けた人物の一人です。
最近は陰陽師・安倍晴明の人気で、入口や境内地も広く立派になった晴明神社ですが、
私の中ではあの不思議な千里眼を持たれていた神主さん=晴明神社の
印象であることに変わりはないのです。