平安時代中期、大内裏の西側に「宴の松原」と呼ばれる広大な松林の土地がありました。

 

南北430m。東西250mという広さにも関わらず、承和元年(834)年に空海が

この地の南東部に加持祈祷をする為に建てた「真言院」以外は

特に何か建築物を建てるわけもなく、松林のまま放置されていたのです。

 

これほどの広大な敷地なので、内裏の建替え用地として置いていたのでしょうか?

 

はたまた宴という名前の通り、何かの宴の際に利用しようと考えていたのでしょうか?

 

今となっては定かではありませんが、大内裏の隣にただの竹林が放置され残していたとは

何とも不可解であり、朝廷は何かの思惑があり放置していたとしか思えません。

 

鬱蒼とした広大な松林は昼でも薄暗く、夜は不気味で通る人影もない地となっていました。

 

そんな宴の松原。

 

中秋の名月の頃、怪奇な事件が発生したのです!

 

明るい月の夜に誘われ、宴の松原を三人の若い女性が通りかかった時のことです。

松林から若くて美しい男性が現れたのです。

 

男は三人の女性のうち、一人の女性の手をとって松の木陰へと誘い、

二人の姿が松林の中へ消えていきました。

 

二人の女性は松林の外で待っていましたが、松林の暗闇から

微かな話し声を聞こえてきますが姿は見えません。

 

そんな時です。

今まで聞こえていた男女の話し声が途切れたのです。

 

松林の中は静まりかえり、いくら待っていても女性は戻って来ません。

不安になった二人の女性は松林へ入り、女性と男性の姿を捜しましたが、

二人の姿は見当たりません。

 

一人の女性が月明りに照らされた足元をふと見ると、辺りには血の海が広がり、

女性のものと思われる手と足だけがバラバラになり落ちていたのです!!・・・・

 

 

二人の女性は「鬼が美しい男に化けて連れ去った女性を食らった!」

と騒いだことで大内裏は大騒ぎとなりました。

 

この猟奇的な事件は、清和・陽成・光孝の三代天皇の時代を記した

史書『日本三代実録』や『今昔物語集』にも記録されていますが、

正史がこのような怪奇事件が鬼の仕業として正史に記録され残していること

はかなり珍しい例であり、この事件の衝撃の大きさを物語っています。

 

さらに別の夜のこと。今度は美しい女性が一人の男性の前に現れ、

二人は松林の中で一夜の契りを結びます。

 

女性は契りを結んでことで自分は死ぬと言い、死んだら法華経を書き写し供養してほしいと

言い残して、男性に扇を手渡します。翌日、男が宴の松原に行ってみると、

一匹の狐が男性の渡した扇で顔を覆ったまま死んでいました。

 

男性は昨晩、女性が言い残したように法華経を書き写し供養しました。

 

ほかにも花山天皇に宴の松原へ肝試しいくことを命じられた藤原道隆は

弟の道長と一緒に出かけたましたが、宴の松林の中から得たいの

知れない怪しげな声がし、慌てて逃げ帰ったと記しています。

当時の都人にとって宴の松原は、月夜の晩には魑魅魍魎の出没する異界として

恐れられ、大内裏の隣接地でありながら通る人もいない地になっていたようです。

 

現在、その場所には住宅が立ち並び、その角に石碑が残るだけで、かつてこの地が

鬼やもののけが跋扈した松林が広がっていた面影を見ることはできません。