桓武天皇は平安京を造営した時、朱雀大路の南端に都の表玄関となる「羅城門」を建設しました。
「羅城」とは古代中国の城郭都市の壁のことですが、
平安京では壁はなく、その代わりに門が造られ、
その名付けられました。
新都の表玄関でもあることから、21mの高さを誇り、正面横幅35m、奥行き8mの
二層構造の重厚な入母屋造で瓦屋根に鴟尾がのせられ、
黄金に輝く装飾が施された壮麗な楼門でした。
楼上には王城鎮護の象徴として兜跋毘沙門天像が安置されていました。
聳え立つような高さに驚いた桓武天皇は「もう少し低くしてはどうか」と提案したそうですが、
その予感は的中し22年後の強い台風で倒壊してしまいます。
再建はされたものの64年後にはまたしても暴風雨にさらされ損傷し、
その後は復旧されことなく荒廃していくのでした。
それと同時に門の周辺も寂れていき、ついには死体の捨て場にまでなっていて、夜な夜な霊が浮遊するなどの噂も流れ、いつしか都人の足も遠のいていきます。
そんな頃から都では奇妙な話が語りはじめられます。
羅城門には「鬼女が棲んでいる」というもので、酒呑童子を退治で知られる渡辺綱に
腕を切り落とされた鬼が、綱の乳母に化けてその腕を取り返しに来たが、
綱の太刀により鬼女は首を切られ退治されたといいます。
この逸話を都人は「鬼が棲む羅城門」として伝え「百鬼夜行拾遺」に記して残しています。
また「今昔物語集」に他所から都へやって来た盗賊が壊れた羅城門に登ってみると、
謎の老婆が一心不乱に遺骸から髪の毛を抜き、かつらを編んでいた姿を目撃、驚きはしたものの、
盗賊はその髪の毛と老婆と遺骸の着物を剥いで去っていった、という話が生まれるなど、
羅城門は盗賊のアジトと化してしまいました。
都の威容を放つ壮麗にて重厚だった羅城門は平安時代後期には完全に姿を消した模様で、
今ではその跡に石碑が建っているのみです。
棲み家をなくした鬼や霊たちは、その後何処へいったのでしょう~
いまもどこかから、私たちの暮らしを覗いているかも知れませんね・・・