京都二条城の西に今も残る平安京時代の庭園・神泉苑は、
平安京大内裏の南東に長安の興慶宮に模して造られた庭園です。
今でこそ僅かに庭園跡の池が当時の面影をとどめるばかりですが、
当初の敷地は二条通から三条通まで南北約520メートル、東西約250メートルに及ぶ
広大な庭園でした。
この神泉苑こそ、都に跋扈する怨霊たちの祟りを鎮めるために、
怨霊を「御霊」として祀る「御霊会」という大規模な儀式を執り行われたところです。
この「御霊会」で祀られたのは崇道天皇(早良親王)、伊予親王とその母の藤原吉子、
藤原仲成ら6人の怨霊でした。
彼らの為に霊座が設けられ、般若心経のお経をよみ雅楽や舞が奉納されたのです。
祟りを鎮める「御霊」の儀式が、はじめて朝廷の正式な祭儀となった催しでした。
この御霊会では神泉苑の門が解放され、朝廷関係者だけでなく
都の庶民も出入りが自由に許され、怨霊の鎮魂は朝廷と民衆が一緒に
対処しなけれ抑えられないほどの脅威となっていたことがわかります。
こうして祟りの意識は「御霊信仰」とともに都の庶民に広がっていくのでした。