学問の神様で知られる菅原道真公をお祀りする京都・北野天満宮。
道真公は貴族の中でも低い家柄でしたが、学才に優れ人格者でもあり
宇多天皇の信頼を得て、右大臣にまで昇格しました。
しかし、いつの世も「出る釘は打たれるもの」
ライバル関係にあった左大臣藤原時平ら他の貴族の反感や嫉妬を買い、
謀反の意ありの疑惑を掛けられ失脚、九州大宰府へ左遷され、
二度と都の土を踏むことなく無念の死を遂げます。
さらに!息子4人も流刑に処されます。
すると道真公の死後、都では奇妙な出来事が頻繁に起こり出しました。
比叡山延暦寺の座主法世房尊意の前に霊となって姿を現した道真公は
自分を陥れた者たちに「復讐」する意を述べ、思い止まるように説得する尊意へ
口から炎を出し、木戸を焼き尽くしました。(北野天神縁起絵巻)
怒りを抑えきれない道真公は大怨霊」と化し、都に出没します。
まず自らを陥れた張本人・藤原時平が不慮の死を遂げると、
関係した貴族たちも続けざまに亡くりました。
そして清涼殿には落雷が落ち死者を多数出し、醍醐天皇も精神的に追い込まれ
譲位してすぐに他界しました。その後も都には水害や旱魃、疫病や飢饉など
恐ろしい出来事が頻発します。
皆、口々に「これは道真公の怨霊の祟りだ!」と語り、都人を震え上がらせます。
荒ぶる怒りを抑えるために朝廷は道真公に正一位・太政大臣の位を贈り、
北野の地に祀られていた「天神地祇・雷神」に「神」として祀ることで
怒りを鎮めて貰うべく祈願したのが「北野天満宮」です。
時は流れ、大怨霊と恐れられた道真公はいつしか「学問の神様」として崇められ、
庶民の尊敬される存在となり、今では畿内はもとより日本全国から
受験生が訪れる神社となっています。
北野天満宮近くで生まれ育った私にとっては、幼い頃からの遊び場であり、
境内の参道は母と夕飯の買い物へ行く道でした。
参道横の「牛」の像の頭をなでると「頭がよくなる」と言われ、
すべての牛さんの頭をなでて通ったことも懐かしい思い出です。
遠い昔、大怨霊として都人を震え上がらせた道真公の雰囲気など
微塵も感じることありません。
長い時を経て、本来の学者として尊敬され続ける道真公の怒りも癒え、
今では穏やかで温かいまなざしでお参りにお越しなる人々を
ご覧になっていると感じるのです。