蒸し暑い京都の夏につきものなのが「ミステリー」です。
学生の頃かミステリーチェイサーを自認する私が、京都をミステリ―の視点から
眺めてみたいシリーズ「京都の異界散策」
京都に都を造営した桓武天皇は、遷都計画の途上で数々の天然災害や疫病,飢饉に見舞われ、
母や側近など愛する人々を次々に失います。
幾重にも襲われ不幸の原因は自らで罰した弟「早良親王」の怨霊のなせる祟りだと
思い込むようになり、恐れたと云われています。
天皇は都の設計に風水思想の四方の神「四神」に頼り、東は青龍・西は白虎・南は朱雀・北は玄武をそれぞれ配置し「大将軍」に守護させ、鬼・怨霊の通り道である鬼門に社を建立し霊的結界を張り巡らせたのです。いま風にいうと「霊的防御システム」といったところでしょうか?
その中心として内裏の西北(乾)の天門に創建されたのが今も京都市上京区一条通りに残る「大将軍八神社」です。
しかし、時代が進み室町時代。幕府の統治能力は著しく低下し、守護神の社と定めた御霊や玄武の船岡山など神の領域として都に張り巡らせた結界は破られ、桓武の都は戦乱により火の海と化したのです。これが「応仁の乱」です。
長きに渡り抑え込まれ、くすぶりながら身を潜めていた怨霊たちは、戦乱という人々の狂気を千載一遇の好機と見定め、弱まった霊的防除システムを解き、都になだれ込み跋扈した。そして桓武天皇が築いた都は焼失してしまったとは考えられないでしょうか?
京都には魑魅魍魎が跋扈する異界だからこそ、今でも各所で「祭」が執り行われています。
京都で起こる様々な事象、それは単なる偶然ではなく「怨霊」のなせる仕業であり、その荒ぶる祟りを鎮めることを京都の町衆の深層心理の中に確かに息づいているように感じます。
今、京都を覆う暗雲を払い清め、真の平安を取り戻したいものです。