1603年、乱世を平定した徳川家康は、倭寇や秀吉の朝鮮侵攻などで行き詰った東アジア諸国との関係打開と国内経済の活性化を図るため、、豊臣秀吉が手掛けていた「朱印船貿易」を再開した。

 

了以たち角倉家はすでに日本を代表する海外貿易家として名を馳せていたので、一番最初に

朱印状がおろされ、息子・素庵は貿易を取り仕切る「日本国回易大使司」に任命された。
 

家康の思惑もある朱印船再開において了以は、日本儒学の祖といわれる藤原惺窩に尽力を得て

航海時における「規則」を定めた。これは船主である了以が角倉船に乗船し、直接貿易に従事する

客商人や乗員に求めた倫理規範であり、出航前に規約書類に押印し提出した者のみの乗船を認めたという。これは角倉家の「行動規範」でもあり「倫理綱領」で、これを「舟中規約」と呼び、まさに

世界最古の企業経営倫理として掲げ、渡航の毎に実践された。


その素地となった精神は「利他・共生の志」で「人を損(す)てて己(おのれ)を益するに非ず」と思想で、
「貿易相手国に損失を与えて、自国のみの利益を得ようとしてはならない」という、現在にも通ずる

グローバルスタンダードである「対等な立場のビジネスパートナー」だという意識に貫かれている。

 

時は16世紀後半から17世紀前半、世界は大航海時代であり、欧州諸国の大国がアジア諸国へ

進出した時代。その同じ時代に現在同様のビジネスモラルを掲げた企業家精神で、貿易事業を

実践した人物は世界にいない。

これほどの崇高な精神で事業を展開した日本人がいたことを、現在の我々日本人が忘れていいはずがない。


事実、舟中規約を遵守した角倉k朱印船の商人たちは、ベトナムやタイ、フィリピン、台湾など
東南アジア易諸国の人々から「大切な友人」をして交流した記録が残っている。

では、世界最古の企業経営倫理といわれる「舟中l規約」には何が記載されていたのか?

 

それは次回に譲ろう。

(つづく)