京都最大の峡谷・保津峡

この雄大な自然風景は、太古の大陸形成の過程で生み出されました。

V字谷の山肌に、層状チャートで造形された峡谷が形成されたのは、

古生代石炭紀から中生代ジュラ紀(3億5920年~2億5,100年前)に

かけて進行したプレート運動によって築かれたといわれています。

 

この頃、海底火山活動により流れ出た溶岩や海底で大量発生した放散虫(プランクトン)など、

微粒珪質遺骸が集積してできた生物岩で、層状チャートの形状を現しているのが特徴です。

現代地学的見解によると、深い海底で堆積され層状チャートを形成した地面は、

大陸の地殻変動にともなう海流活動で運ばれ、今から約200~500万年前に隆起したものと

云われています。

 

川は元の流れの形で山を削りながら侵食を続け、巨大な峡谷が姿を現したものです。

 

NHKの人気番組「ブラタモリ」でも案内人のタモリさんも訪れたことで知られる地層の峡谷。

 

自然の要害として存在した保津峡でしたが、人はその谷底を流れる保津川を利用して、

木材資源などを筏に組み、流す、物流ルートとして整備しました。

 

その後、嵯峨の豪商・角倉了以による開削事業により、舟運航路も開かれ、

物流規模も増加し、保津峡を挟む形で立地する京都と丹波地域の経済発展を潤わせます。

 

近代に入り、保津峡の地形に沿うように鉄道敷設が成功し、丹波からさらに丹後・日本海までの

ルートが築かれ、物流をはじめ人の移動も可能となり交流範囲が拡大したことで、

京都府内の流通・交通は盛んとなり、重要な大動脈をとして利用されrました。

 

保津峡という大自然の要害に対し、その時代時代の英知と資金を投入し、

流通のルートを開いてきた先人たち。

 

自然と人間が織りなした歴史ロマンがギュッと詰まっている保津峡。

 

これらの地域文明史の遺産は今、保津川下りや嵯峨野トロッコ列車として残り、

体験するできます。

また、ドライブやハイキングなどで訪れても、遺構をご覧になることが可能です。

 

ゆっくり保津峡で休日を過ごし、自然と人間が繰り広げた共生の歴史に

思いを馳せみてはいかがでしょうか?