
2007年1/20。写真後方にいるのがフッキ。
2007年1/20、東京ヴェルディ新体制発表会見の席で初めてフッキを間近で見た。
見知らぬ選手に囲まれナイーブな姿を見せるフッキ。
前年までコンサドーレ札幌に所属し、恐ろしいシュートを撃ち込む選手だったし、
その頃のフッキのヘアスタイルがラーメンおじさんみたいだったから、
当時幼稚園児のトモとの間では彼のことをラーメンおじさんと呼んでいた。

フッキのゲーフラ。
春先に立川で行われたゲートフラッグ作製会にて、新加入のフッキを歓迎すべく、
息子用に小さめのサイズでフッキ・ゲーフラを作った。
3/4の草津戦前に練習場でフッキに魂(サイン)を入れて貰って息子に持たせた。

2007年9/23、練習場にて。
周りのブラジル人選手たちや監督ラモス瑠偉のおかげもあり、
彼は早々にチームで自分のプレースタイルを確立し、数多くのゴールを叩き込んだ。
観ている誰もを魅了する力強さ。
センターサークルから相手エリアへ入った時点でシュートレンジが見えると迷わず撃つ。
この距離は…、この角度は…無理だろうと誰もが思っても彼は迷わず左足を振り切った。

2008年4/12、東京ダービーで長友・今野と対するフッキ。
まだ若かったフッキはJリーグのジャッジに悩まされた。
ジャッジを不信に思った彼はプレー中の集中を欠く場面もあった。
長友はこの日の東京ダービーでフッキと互角に戦い自信を持ったらしいが、
この時のフッキは輝きを失いつつあった。
「Jリーグ無理」とフッキは言い放った。ジャッジへの不信感からだった。

2008年5/14、練習場でのフッキ。
彼のふくらはぎの筋肉が物凄くて、よく写真に撮ってた。
強靱なフィジカル。
練習が終わると温和な表情へと戻り、彼の近くに来るファンに笑顔で接していた。
いつも彼と一緒にいたディエゴがとにかく明るくていいやつだったから、
ディエゴの側にいつもいたフッキもディエゴに見習って、ファンに優しく接していた。
強靱な肉体を持ちながらも、気持ちはまだどこか少年らしさを残すナイーブな姿。
そんな少年らしさを見せる彼だったけれど、練習が始まると、
ボールを足元に置くと、自ら持つゴールへのイメージとイマジネーションで、
試合だけでなく練習場でも彼を見つめる誰をもを魅了した。
彼が日本を出てからヴェルディで一緒だった高木義成(現・名古屋GK)と電話で話したという。
電話の向こうの高木へ、「シャクレ」と呼びかけた。
あの当時のヴェルディの状況がどうだったかは別にして、
選手たちはきっと、少なくとも彼とのプレーを楽しんでいただろう。
心優しき日本人たちに接したフッキも、少なくともどこかに日本で暮らした間に培った
日本人らしさとユーモアを成長の過程で刻んだだろう。
今朝、早朝、夜明け前。テレビでコンフェデレーションカップ、ブラジル×日本戦。
スタメンにフッキの姿。
これまでも何度かセレソンに呼ばれる機会があったけれど、
来年に母国ブラジルでのワールドカップを控えたこの大会で、
フッキが母国のピッチでセレソンとしてピッチに立つ姿を見て震えた。
フッキの蹴るフリーキックのシーンを観ながら胸が熱くなった。
あの殺人的な無回転のド迫力のキックを観たいって思った。
日本代表の活躍にも期待していたけれど、テレビに映るフッキの姿を見ていると、
画面で映るフッキの姿ばかりを目で追っていた。
互いにナイーブでシャイだけれど、何度か自販機で買ったマックスコーヒーをあげていた相手だけに、
なんともいえない気持ちだった。
サッカーの世界では日本よりもブラジルがかなり格上で雲の上のようなことがよく言われる。
しかし臆することはない。
僕らがいつも彼らに負けている訳ではないし、彼らに勝てている種目もある。
日本とブラジルの野球の試合を見ていると、まるでブラジルと日本のサッカーを見ているような感覚に陥る。
いつか追いつけるし、いつか互角に戦えるようになる。
格上だからといって臆することは無いのだと思う。
とはいえ今朝のブラジルは強かった。
まるで違うスポーツをしているかのように、彼らのペースで、彼らのルールで試合が運ばれていた。
後半終了間際の3失点目はきつかったけれど、
次に当たるときには2失点くらいにして1点でも返そう。
そしていつか近い将来に勝つことだってある。
とはいえ、次に日本とブラジルが対戦する時には
今野と長友がフッキにけちょんけちょんにされる姿を観たい。
悪いが、フッキというのは名前の通り、超人ハルクなのだから。。。
でわでわっ。。。