
紆余曲折あり、現在の店舗にて営業再開されたようです
というか、私は松屋町にあった店舗でしか知りませんでしたが…
好き嫌いの多かった大正生まれの祖母が『ここのは慣れ親しんだ味』と言っていたり、昨年逝った伯母は、遊びに行くとよく出前をとってくれたり、と、知らず知らずのうちに私も長年に渡り、口にしていた店の味でもあります。
松屋町のお店は2018年に閉店となっているので、閉店前に食して以来かなぁ〜。
伯母ンチでいとこと3人で食べたのがいつだったのか…。。。 気になって古い方のスマホ画像を確認したら、2017.12.17となってました記録が残ってて有難い。
数ヶ月後にまた同じく3人が揃い、再度注文しようと電話すると通じなく、その後閉店していたと知ったという事実。
祖母とは、母方なので、母も知るお店であります。
伯母は父の姉であります。
なので、両親にとっても馴染みのある店だし、ここ数十年は食してなさそうと踏んで、母の日のプレゼントとする事にし、私も久々にありつけた次第です
いつも出前だったので、出前の器は円形だったような記憶があり、この箱折はなんだか妙な感じです
多分、伯母が頼むなら 上 だろうと。。。
そそ、こんな感じ
色鮮やかなちらしずしです
欲をいうと、やはり円形の方が、具材が綺麗に放射線上を描き見目麗しく、蓋を開けた瞬間『わぁおぉ〜〜〜』って従姉妹と声を揃えてハモッた事がありました
その時、職人技を垣間見た気がしました
で、古い写真をみるとやはり円形のお櫃でした。 写真を転送しようと思ったら、このスマホ自体が古く、アップデートするには容量足らなく、容量空けた時にはアップデート期限切れでして写真を移動してこれません
今回、たこ竹を調べてみると、私は5代目さんのをよく食していたのだろうか? 4代目だろうか?(顔写真の載っている)6代目さんだろうか? 6代目さんの出前の時『大将は元気だっか?』と伯母が聞いていたような。。。 伯母のいう大将とは何代目?
今の店舗で調理されていた方は7代目? それか、従業員? お若そうに見受けられました。
松屋町の店舗とは打って変わって、とてもモダンな店舗に代わり、店内でも4人までは食べれるスペースもありました。
私が20代で松屋町お店に入った時、あまりにもの雑然さに店内で食すのは……と言った印象があり、その時は老舗の類だとは思いもしませんでした。
長年、伯母のを少しずつもらっていて、棒寿司もひと通り食しているとは思われるけど、此方の押し寿司なら、お墓参りの後に行く奈良の吉野は下市のおけ常の方が、これまた子供の時より食してきてるので、そっちの方が舌に合ってるかな〜。
あ、数年前まで大阪のデパ地下に入っていた、吉野のつるべすし弥助のも美味かな
食事って、食べるシュチュエーションで変わるものだろうし、今日食べたのが元々の味だったのかどうか、そこまで食べ込んでいないからわからないけど、即座に美味しいと思った訳じゃないけれど、余韻としてとても満足いくものでした
両親に、お味の感想をまた聞かなくっちゃ。
店舗で食すると、玉赤もいただけるのだろうか…??