随分と間があいてしまいながらも…

難波八阪神社・綱曳神事の続きです。




朝早くからの神事を途中頓挫を挟み見学してましたが、突っ立ってるだけの寒さがこたえ、最後の仕上げは見ずに、1週間後に出来上がり具合を確認しに行きました。
来年は後半を見学する予定デス。

出来上がりの図下矢印














獅子殿のど真ん中に鎮座されてます。



どうやってこの獅子殿まであげるのか!?

今から来年が待ち遠しいデスドキドキ





平成13年・2001年に大阪市の無形民族文化財に指定されたこの 綱曳神事日本

こちらの石碑は平成20年・2008年建立



以前、この石碑をみて、獅子殿に飾られてたモノをみて、一度神事をみてみたいなと思った次第です。



大阪市のHPによると。。。

下矢印


祭り当日の朝から神事参加者が縄を綯り合わせ八頭八尾の「八岐大蛇」形の綱をつくり、境内でその年の恵方に引き合う。その後、綱を担ぎ、神社の周囲を巡行する。


そういった神事だそうですキラキラ

つづき。。。下矢印


この神事の起源は明確ではないが、享保4年(1719)初演の「平家女護島」(近松門左衛門作)にこの神事が登場することから、すでに当時の人々にとって広く知られた大阪を代表する行事のひとつだったことがわかる。『摂津名所図会』(1796)には絵入りで紹介されている。全国各地に「綱引き」は分布しているが、江戸時代の絵画資料があるのはきわめて少いと思われる。江戸時代中期には『摂津名所図会』に描かれるとおり、文字通りの「綱引」で「産子の人々左右に分列して大綱を争い引きて、其勝方其年福を得るといふ。」という年占の綱引であった。

 その後、「八岐大蛇」に変化していく過程もある








なんであれ、大勢の氏子さんたちの伝承により受け継がれいく神事、これからも途絶える事なく、続いていって欲しいのものです。









そーいえば境内の此処下矢印



何の宮趾なんだろうはてなマーク

と、例の新しい掲示板を見に行ったんだけど、



09 番をタッチしても無反応だったガーン

他は出てくるのに〜〜







連続しての参拝は発見ありです目






節分祭のチラシが貼ってありました節分




この時間だと間に合うぞぉ〜〜恋の矢



という事で、とっくに過ぎちゃってるけど、次は節分祭の模様です花