#平成のXファイル・古代・NO―2020-20
名前は、筆者。職業はオカルト・古代史探偵。
相棒のハンターは、ハッキングの名手で身元不明の女の子。
東京ベイテレビの「K」という謎の人物から毎回、不可思議な仕事依頼がある。
いつものように山中女史は、私の質問に対して細やかに、そして島のことを一気に語ってくれたのである。やはり、奄美の島々の話になるととても興奮しているのだろうか、水を一気に飲み干して、お代わりを注文したのであった。
筆者は、帰る時間を気にして時計を見たが、すでに電車はない。もう午前3時、いや、まだ時間があるので電車の始発まで話を伺わせてもらうことにしたのである。
筆者は以前から気になっていたことがあった。それは、喜界島の「喪屋」の事である。奄美本島で行われていた「喪屋」は、奄美群島全てに当てはまるのか?という疑問なのだ。そのことについて山中女史に聞いてみることにした。
「山中さんは、喜界島はもちろん知っていますよね。その喜界島の喪屋について話していただけないでしょうか」
山中女史は、
「ええ、もちろん構いませんですよ」
そうして、喜界島の喪屋について話し始めたのである―――
奄美本島の東北に位置する喜界島。
喜界島の歴史を見て、集落(シマ)をお伝えする前に「間切(まきり)」をお伝えしておきますね。喜界島には五つの間切があります。
間切の集落(シマ)順番などもどうなっているのか見て感じてください。
1 湾間切・・・・・湾・赤連・中里・羽里・山田・城久・川嶺
2 荒木間切・・・・荒木・手久津久・上嘉鉄・蒲原・花良治
3 西目間切・・・・西目・大朝戸・坂嶺・中熊・先内・中間・伊砂・島中・滝川
4 東間切・・・・・早町・白水・嘉鈍・阿伝・塩道・長嶺
5 志戸桶間切・・・志戸桶・佐手久・小野津・伊実久
その集落内には「モヤ」と呼ばれるお墓があります。ほとんどの集落に見受けられます。集落は海岸線の集落が多いいので、お墓は集落の山手側にあります。喜界島は隆起珊瑚礁の島ですから一見岩山、砂浜のように見えても全ては珊瑚です。かつて海の中にあったサンゴ礁が岩になり山になり自然の洞窟になっていたりします。集落によっては異なりますが、かなり人里から離れた所もあります。
東間切の長嶺集落は、島の北東部の台地上にある字になります。東は塩道、西は坂嶺、南は早町・白水、北は伊実久に接します。聖地は保食神社があり滑走路のようなまっすぐの道がある。ドラマで使われていたりします。ここに大きい「モヤ」があり畳を20枚敷かれる大きさのものもあったりします。戦時中は、これらの「モヤ」に納められた人骨を集めて、集合墓地に埋葬し、これらの洞窟を防空壕としても使用していたそうです。
奄美の古代文化を詳しく知りたい方は、金久正 著「増補・奄美に生きる日本古代文化」(1978年・至言社刊)をご覧下さい。
ご子息のブログもこちらになります。→ http://www1.odn.ne.jp/n-unasaka/moya2.htm
大変勉強になりますよ。
話は変わりますが隣の集落は島唄で有名な集落なんですよ。
『塩道長浜節』(しゅみちながはまぶし)の舞台のシマです。
「盛里」と「けさ松」の悲恋物語『塩道長浜伝説』が伝わっています。
塩道長浜伝説は
昔、喜界の長嶺集落にケサマツという絶世の美女がいました。島中の若者がこの美女に思い
を寄せていました。ある日、一人の若者がケサマツに、言い寄って行きました。
ケサマツは、その青年と恋に落ちました。
ある日、馬が逃げないようにと、青年の足に馬の手綱を結ばせました。
その瞬間です、ケサマツが手に持っていた傘がパッと開きました。
驚いた馬は走り出してしまいました。
長い砂浜を青年は馬に引きずられ、無惨な死を遂げたそうです。
その後、塩道長浜では夜な夜な、赤子の泣き声がしたと言います。
それはケサマツの死んだ我が子の魂だよと、青年の父親が嘆いたそうです。
長浜につながれた馬には、どんなに疲れていても乗るなよと言い伝えが残っています。
ここまで聴いた筆者は、時計を見るとそろそろ始発が動き出す頃、まだまだいくらでも出てくる話を制止したのである。正直言って、筆者のエネルギーが山中女史について行けなくなったからである。
本当にエネルギーに満ち溢れている女性である。
「もう、そろそろ限界です。それと始発の電車がまもなく走りますから、次に会う事をお約束できませんか?是非お願いします」
「あら、もうそんな時間になったの、知らなかったわ。熱が入りましたね。勿論良いですわ、いつにしましょうかね」
と、山中女史は答えたのである。そして一つの提案をしてきたのであった。
「あのね、もし宜しければご一緒に、奄美に行きませんか?おそらく山上さんにとっても奄美は最後の砦、大切なものがたくさん埋まっている島なので、そろそろその時期が来たのではないでしょうか?そう感じます。本物の奄美のユタ神様にもお引き合わせしたいですね」
と、誘われたのである。その言葉に筆者は、
「はい。勿論です、一人では行かれませんし、是非ご一緒できるなら心強いです。これまでの山中さんの20年の歴史に触れられるのですから有り難いです」
と、答えてしまった。「謎の女性山中順子」を探る良い手がかりになるはずだ。仕事とは別に何故か心が弾んでしまうのである。
奄美に行く日時は、後日、筆者に連絡をするという事で山中女史とは別れたのである。
次回の山中女史の話は、2020-21・6月7日(日) 掲載致します。
5月24日、31日は「童歌通りゃんせの謎」に挑戦したいと思います。
#紅天女
https://www.youtube.com/watch?v=36j0KIux61M
#migaku #ノロ #ユタ #アマミコ #シニレク #奄美手帖 #山中順子
#古代史探偵 #古事記 #シャーマン #喪屋 #天那美
著作©徒根屋
Photographer junko yamanaka
無断転載不可