2022年5月11日に投稿した内容を

そのまま掲載します。



もう14年経ってました…


(昨年の記事に装飾をして再掲します)





2022年5月11日


 


今日は勇氣を出して


母に言われて

超絶悲しかった話


を書きます

 


かなり重い話で

今こうして入力している

私も緊張しているくらいです

 


共感しやすい方は

読まないことを

おすすめします

 


この話は13年前の

2009年6月の話です

 


これまでこの内容は

2人にしか

話してきませんでした

 


つい先日

友人と子どもの頃や

過去の話をしていた時

 

この話を

想い出したんですね

 


ここ半年くらい

私は話す内容が

随分変わりました

 


家族のことを

話してこなかったんです

 

話すと相手を

悲しませるかもしれない

 


親のことを言って

親世代の人に

嫌な想いをさせるかもしれない

 


私なりに相手を氣遣い

何も話してきませんでした

 


でもここ半年くらい

ポロポロと口をついて

 

家族のことを

話すようになりました

 


何かのキッカケが

あったわけではなく

 

自然と話せるように

なっていきました

 


反応は予想外でした

 

あれだけ氣を遣って

悲しませないように

していたのに

 

話してみると

いい意味で

 

あっけらかん

としていて

 

わかるわかる~

 

と共感してくれる

反応ばかりでした

 


つい先日

想い出した時

 

これまで2人にしか

話してこなかった

 

今回の内容を

話してみたんですね

 


そしたら

湧きあがってくる感情が

ものすごくて

 

声を震わせて

泣きながら

話してたんです

 

その瞬間

私は氣づきました

 


まだ

この時のことを

根に持っていたんだ

 

まだ

手放せていなかったんだ

 

 

だから

この場を借りて

全てぶちまけたいと想います

 


ーーーーーーーーーーー

 


2009年6月

 

私は

弟の結婚式に出席するために

帰省していました

 


私は関東在住

実家は石川県

 


弟は大学卒業と同時に

就職は地元でしていました

 


弟とは3年間

関東で一緒に暮らしていました

 


特別仲がいいわけでもなく

もちろん悪いわけもなく

 

お互い自立した大人として

接している感じでした

 


弟と暮らしていた時に

話した内容で

 

「俺、たぶん恋愛結婚より見合い結婚して

 親の面倒を見るんだろうな~(笑)」

「あ~~見合い結婚しそう~~(笑)」

 

↑なんて会話をしていました

 


この会話を覚えていた私

 

2009年の春ごろだったか

母から電話をもらい

 

弟の彼女が妊娠をして

結婚することになった

 

と聞いた時は

 

お~~~~~

弟よ、よくやった!

 

と想ったものです

 


そして

職場で知り合った

女性とのことで

 

前に関東に

遊びに来た時に

 

挨拶だけした

「あの時の彼女かな?」

と想いました

 


↑後日

「あの時の彼女?」と聞いたら

弟は一瞬フリーズしましたが(笑)

 

想い出したようで

「そうそう」

と言ってました(笑)

 


学生時代の弟は

さして恋愛だの彼女だのに

興味がなさそうだったのに ←あくまで想像

 

職場の女性と

恋愛結婚で

しかも子どもまで…ラブラブ

 


いわゆる

できちゃった婚ですが


私が信頼する弟だから

むしろ安心していました

 


なんですが・・・・・・・

 


電話をしてきた

母の反応は違いました

 


話し方から

私とは違う反応だと

すぐにわかりました

 


できちゃった婚

 


どうもこのことが

母には氣に入らなかったようなのです

 

私が

 

いいじゃない・・・

○○(弟)は

そのつもりだったんでしょ・・・?

 


冷静でしっかり者

頭が良くて頼りになる

 


私はそんな弟を

尊敬していますし

 

相談相手としても

考えていました

 

↑私のこの発言に対して

母は

 

まだ早すぎる・・・!

 

それだけでした

 


弟は当時25歳(翌月26歳)

弟の奥さんは同級生

(当時は知らないけど同じ高校)

(ちなみに私も同じ高校)

 


敢えて書きますけど


母が結婚したのは、たぶん24歳

私を産んだのは25歳

父は27歳だったと想います

 


ていうか

結婚に早いも遅いもあるのか

出産に早いも遅いもあるのか

 


そんなことより・・・

 


息子の結婚に対し

孫の妊娠に対し

 

まだ早すぎる・・・!

 

その発言がショックでした

 


息子を信用していないんだ

 

そうも想いました

 


花婿側の家ですから

もしかしたら

 

お嫁さんへの責任

お嫁さんの実家への責任

顔向け

 

なんだかわからないけど

そんなことも

考えていたのかもしれません

 


娘の私に対してだけは

本音を言ったのかもしれません

 


でも・・・


私には

受け止めきれませんでした

 

息子を信頼していない母親

 

そんな氣持ちで

私は結婚式出席のために

帰省しました

 


私は弟の結婚が

本当に嬉しくて

 

弟にはいろいろ

アドバイス(?)しました(笑)

 


妊娠している女性の身体には

負担を掛けてはいけない

 


だからウェディングフォトは

当日ではなく前撮りした方がいい

 ↑友人の時に切に想った

 

出産をすれば忙しくなる

後から写真も撮れなくなる

 


だから

奥さんが着たいものを

着させてあげて欲しい

 


そしてそして

前撮りの時は私も行くから!

 ↑これが狙い(笑)

 

私は結婚式…というより

それに絡むドレスアップを

見るのが大好きです

 


結婚式の主役は

花嫁さん!

 


例え知り合いじゃなくても

ガシガシ写真を撮りたい! ←(笑)

 

とにかく

2人の幸せの門出に立ち合える

あの瞬間が好きなのです

 


過去には

友人の前撮りに参加し

 

カメラマンと同じくらい

写真を撮っていました(笑)

 


それが

弟の結婚式や前撮りとなれば

尚更です

 

前撮りに行くから!!!!!

 

義理の妹になる

弟の奥さんには

前撮りの時に挨拶しました

 


着替えのお部屋を

コンコンして

 

○○(弟)の姉です!^^

写真撮りますんで

よろしくお願いします♪

 

ついでに

着替えの様子も

見させてもらいました

 


で、ですね

実はここでも

ショックなことがありました

 

中には

妹の母親もいたのですが

 

徐々に

ドレス&メイクアップしていく

 

実の娘を見てこう言いました

 

馬子にも衣装ねぇ・・・

 

私はビックリしました

 


いくら実の娘とはいえ

結婚の時くらい

まともに褒められないの?

 

って

 

前撮りでは

ドレスはもとより

着物もありました

 


ピンク色の桜柄で

綺麗な綺麗な打ち掛け

 

うわ~~~~

弟が奥さんの希望を

叶えてあげたんだ~~~~

 

見ていて

私も嬉しくなりました

 


私は一眼レフユーザーで

望遠レンズも持っています(笑)

 

なので

バシバシ撮りました(笑)

 


望遠レンズを駆使して

ガシガシ撮りました

 

この時の写真を後で

アルバムや写真立てに入れて

プレゼントしよう♪

 


この日は

私の母も来ていました

↑たぶん父も来てたかと(記憶が曖昧)

 

前撮りの帰り

お昼ご飯か夕飯かを

 

私、母、父の3人で

食べに行きました

 


私は嬉しそうに

母に話しました

 


私が弟に

身体の負担になるから

前撮りを勧めたこと

 

奥さんが着たいものを

着させてあげてねって言ったこと

 


ここで私は

衝撃の一言を言われました

 

母から

 

あの打ち掛け

レンタルで50万もした

 

すぐに離婚するかもしれないのに

あんなにお金掛けて・・・

 


お店の中にいたので

口調は強くないものの

吐き捨てるように言いました

 


レンタルで50万

 

これを聞いた時

私は

 

自分が悪い

 

と想いました

 


私が弟に言わなければ

前撮りをしなかったかもしれないし

 

前撮りをしなければ

その分のお金を使わずに

済んだかもしれない

 

奥さんが着たいものを

着させてあげてと言わなければ

 

もっと値段の安い衣装で

済んだかもしれない

 

私のせいで・・・

 

瞬時にそう想いました

 


でも

その直後の

 

すぐに

離婚するかもしれないのに

 


これが決定打になりました

 

何の決定打かといえば

親に対する今後の態度です

 


真向かいにいた私は

必死に涙を堪えていました

 


あまりにも悲しく

打ちのめされました

 


涙が出ないはずがありません

 


こうして13年経った今も

その傷は癒されず

 

こうして入力している

今この瞬間さえも

 

顔が震え

声が出るくらいです

 


今は以前より

涙もろくなりましたが

 

当時28歳の私は

人前で涙を見せることは

絶対にありませんでした

 

そんな当時の私ですら

溢れる涙を必死に止めないと

流れてしまうくらいでした

 


私の中の

 

怒りの嵐

悲しみの嵐

渦巻く感情

絶望の感情

 

明日結婚式をする息子に対し

孫を産んでくれる花嫁に対し

 

面と向かってではないとはいえ

何故そんなことが言えるのか

 


驚愕の想いでした

 


何とか食事を終えた

帰りの車の中

 

私は助手席に座る

母の後ろの後部座席に

座っていました

 


この時、既に

私は大粒の涙を流していました

鼻水もダラダラでした

 

鼻をすする音を必死で抑え

でも流れる涙は止まりませんでした

 


そんなことに

氣づかない母

 


追い打ちを掛けるように

こんなことを言いました

 

あんたの子どもは

いつ抱けるんだろうね

 


その瞬間

怒りの感情と共に

私はこう想いました

 


例え私が子どもを産んだとしても

絶対にあんたには抱かせない

絶対に抱かせない

 


息子の結婚を素直に喜べない

お嫁さんの妊娠を素直に喜べない

すぐに離婚するかもしれないと想っている

 


そんな風に想っている

実の母親に

 

自分の子どもを抱かせたい

 

なんて絶対に考えられない

 


その日の夜も

子どもの頃の自分の部屋で

ずっと泣いていました

 

このブログには

過去ログも全て残してあります

 


2009年6月~7月にかけて

ちょろちょろと

当時のことが書いてあります

 


結婚式のこと

弟夫婦にあげるアルバムのこと

写真を1000枚以上プリントしたこと

アルバム作りたいへ~んって(笑)

 




振り返って

さっき当時の記事を

いくつか見ていたのですが

 

途中で

当時お付き合いが濃かった友人に

この出来事を話そうとした

形跡があります

 


彼女は当時妊娠中

 


そんな大事な時期に

この話は話せない

 

と当時の私は

書いていました

 


後々私はこの彼女に

この出来事を話しました

 

彼女もショックを受けていました

 

これが話した1人目

 

後に2人目に話しました

その人も驚き

 

そんなひどいこと言ったの?!

 

と信じられない様子でした

 

ーーーーーーーーーーー

 

当時の前後の様子は

こんな感じです

 

この話を書く勇氣は

かなり必要でした

 


やはり

 

読む人がどう想うだろうか

悲しむ人がいるかもしれない

 

でも

そんなことより

たぶん

 

それを話す時の

自分の感情を感じたくない

 

これが一番、話したくない理由

だったんではないかと想います

 


自分の中にある

 

怒り

悲しみ

絶望

 

これをもう

出したくないし

見たくないし

 

あの時の感情を

追体験したくない

 

あんな辛い想いは

もうしたくない

 

だから

 

忘れよう

想い出さないでおこう

誰にも話さないでおこう

 

そうすれば私は

何度も傷つかなくて済む

 

↑これが話してこなかった

一番の理由なのではないかと

今では感じています

 

何も話さない

 

それは

 

何も「放さない

 

これに氣づきました

 ↑ついさっき

 

「話す」ことは

「放す」ことだ…

 

よく

 

話すとスッキリする

 

というのは

 

感情を手放すこと

 

と同じであると

 


でも私は

「放して」きませんでした

 


ずっと

持ち続けてきました

 


ある意味

執着

執念

 

それをずっと

持ち続けてきました

 


先日の

あの日あの時あの瞬間

 

友人と話している時に

想い出して

 

「放してみよう」と

想ったことは


ある意味

自然な手放し

だったのかもしれません

 


そして、そのおかげで

まだ手放せていなかった

と氣づけたこと

 

それが最大のお知らせでした

 

 

 

これまでブログには

色々いろいろ書いてきましたが

 

私も

完璧な人ではありません


 

まだまだ自分探し中です

 

ていうか

 

自分探しって

一生かけてやるもの

 

ていうか

 

自分を探すために

生まれてきた

 

そう書いても

過言ではないのかもしれません

 

あ、そうそう

 

弟家族のこと

氣になりますよね(笑)

 

ブログでも

インスタでも

 

以前に

ちょろっと書いたことが

あるのですが

 

弟が結婚した

2009年9月29日

甥が誕生しました

 

現在12歳

中学一年生です ←早~

 

4年後の

2013年10月29日

姪が誕生しました

 

現在7歳

小学2年生です ←お喋り盛り

 

甥や姪との

おもしろエピソード

もあるので

 

またこちらで

書こうと想います

 

弟夫婦は

もちろん仲良し音譜

 

年末には

弟夫婦の家に

泊まらせてもらってます

 ↑私が実家に行きたくないから(笑)

 


2年程前

弟から頼まれて仕方なく ←(笑)

実家にも泊まるようにしています

 

弟の奥さん

私は妹だと想っていますが

 

妹は夫である私の弟を

心から信頼してて

好きなんだな~

 

というのが伝わってきます

 


妹から見ると

義母である私の母とも

良好な関係のようです

 

むしろ

私と母の関係の方が

さほど良くない…かもしれない(笑)

 


私の氣持ちですが

数年前から両親のことは

どーでもよくなりました

 


こんな風に書くと

親不孝だとか

親に対して何だそれはとか

 

まぁ

あれこれ想う人も

いるのかもしれませんが

 

ここを読んでいる

あなたと私は違います

 


私は私の感情を

書いているだけ


ただそれだけ

 

どーでもよくなった

両親に対して特に何とも想わず

 

あ、ちょっとは

想ってるか

 

あーーーーーー

まだそういう世界で

生きてるんだなーーーーー

 

って冷めた目で

前回の年末年始の

帰省の時は見ていました

 


生きる世界が違う

 

そう想いました



でも、私は違う

 

いよいよこの記事も

5000文字を超えそうなので(笑)

 

これにて

終了したいと想います

 


最後まで

お読みいただいた皆さま

 

お付き合いいただき

本当にありがとうございますハートのバルーン

 




今日は2023年6月17日

深夜のインスタライブ配信で

この14年前の出来事を話しました



ライブ中は「13年前」って話してた笑い泣き




話して氣づきました

私の中にまだ未消化の感情があるんだと


それが怒り


先日のメモリーオイル鑑定で

『許し』オイルを選んだのは


この怒りを抑えなくていいんだよ〜

怒っちゃっていいんだよ〜


っていう自分からの

お知らせだったのかもしれません



きっとこれは一生かけて

向き合うことなのかもしれません





河村知美

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